田原総一朗といえば、最近は「割と朝までやってる人」(千原ジュニア)というイメージしかないかもしれない。 しかしながら、彼は若き頃、今の放送コードぎりぎりな芸人あるいはアングラ劇団、パンクロッカーなどなどが束になっても敵わないような過激すぎる活動をしていた。しかも会社員時代に。 そんな田原が5月27日に放送された「クメピポ」に出演し、当時のことを振り返っていた。 田原は1964年から1977年まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)でディレクターとして、ドキュメント番組などを制作していた。 「他局がオンエアできないような番組を作ろうと思った」という田原。 テレ東ってテレビ番外地って言われたの。誰も(チャンネルを)12まで回しませんよ。 だからそこで見てもらうためには他の局が絶対やらないようなものをやらなきゃダメ。 しかもね、そりゃ、NHKやTBSは(スタッフも)能力があるのが行ってる。 テレ
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