2021年7月28日のブックマーク (2件)

  • 「本当の意味で批判的な態度」は、まず褒めるところから - 狐の王国

    当の意味で批判的な態度」について考える - メロンダウトという記事。現代の思想的状況でほんとうの意味で批判的な態度はあり得るのかと問いかける記事。 確かに記事の通り、いまは複雑な状況にある。特に日においては、バラモン左翼とビジネスエリート右翼が結託して資主義を利用した全体主義を推し進めてるようにしか見えない。こういう状況で「批判的な態度」はどうあるべきか。 それはね、「褒めること」だと思うんですよ。 「批判」というと昨今の若者言葉の文脈では悪いことであるかのように使われているそうだが、批判そのものが悪いわけじゃない。ダメ出しをすることが批判だと思ってる人もいるようだが、「批判」にそんな意味はない。 ① 批評して判断すること。物事を判定・評価すること。 (中略) ③ 良し悪し、可否について論ずること。あげつらうこと。現在では、ふつう、否定的な意味で用いられる。 批判とは - コトバン

    「本当の意味で批判的な態度」は、まず褒めるところから - 狐の王国
    g-70hal
    g-70hal 2021/07/28
  • 東京オリンピック開会式でのゲーム音楽の使用にまつわる議論から、現代における社会の分断について考える──インターネットは民主主義の敵なのか?

    東京オリンピックの開会式の入場曲に、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』をはじめとするゲーム音楽が使用されたことについて、ネットではその是非を巡って、さまざまな意見が飛び交っている。 ゲーム音楽が、ひいてはゲーム文化が国際的な場で使われる=認められたことは喜ばしいことであるとか、自分の好きな曲が流れてきて嬉しい!だとか。その逆に、愛するゲーム文化政治的に利用されるのが許せない、という意見も見受けられる。 まぁ、人それぞれ意見はあってよいと思うし、それを表明するのも自由だと思うので、こうした議論が起こること自体は、とても興味深いことだと感じる。 千駄ヶ谷・新国立競技場 そうした一方で、今回の一連の動きで、個人的に改めて再認識したのが、 今の世の中──少なくともネット上において、当に「分断」が顕著になってきているなぁ ということかもしれない。 というのも、「ゲームが好き」という

    東京オリンピック開会式でのゲーム音楽の使用にまつわる議論から、現代における社会の分断について考える──インターネットは民主主義の敵なのか?
    g-70hal
    g-70hal 2021/07/28
    そしてこのブクマの有様である。構成に意味を見出して喜ぶ同好の士はチョロいと腐し、動乱の後でも相当数の注目と興奮を引き出した構成はエアプだ下手クソだと詰る。都合よく文化を利用しているのはどちらなのやら