航空機乗員養成所(こうくうきじょういんようせいじょ)は、1930年代後半(昭和10年代)に逓信省の外局である航空局が設置した民間航空機乗員を養成する施設。 初期の航空機は貨物を運ぶにはパワー不足であり、民間航空機の主要な役割は従来の手段を使うよりも早く郵便物を運ぶ郵便機であった。このため航空業務の管轄は郵便を司る官庁となっていた国も多く、日本では1923年に陸軍省から逓信省航空局に民間航空の業務が移管されていた。 主目的は民間機(主に郵便機)の操縦士を養成することであったが、有事の際に動員できる操縦士を増やすという目的もあり、生活は軍隊式、所長はじめ教官も予備役軍人であり、卒業後は陸軍や海軍の航空部隊に入隊して予備下士官に任官するなど軍学校としての要素も強かった。庶民には操縦訓練の費用を工面するのが難しい時代に全寮制で実業学校相当の教育機関に無料で通えることから倍率は高かった。 1938年