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ブックマーク / www.y-history.net (6)

  • 国民国家

    国民国家 主権国家において、国民主権が確立し、憲法と議会政治が実現し、一元的な統治国家となった国家をいう。18~19世紀の西ヨーロッパで形成され、20世紀に世界的傾向となった。 16~17世紀ごろ西ヨーロッパに生まれた「主権国家」の最初の形態は、権力が国王だけに集中し、「社団」とも言われる中間団体がそれを支える政治体制をとっている「絶対王政国家」あるいは「社団国家」という性格を有していた。主権国家では次第に「主権、国民、国境」が「国家の三要素」と意識されるようになっていったが、その段階ではまだ「国民」の実態としてのまとまりはまだ十分ではなく、国民主権を規定する憲法などもなかった。 国民国家の形成進む ところが、18世紀の主権国家間の抗争(七年戦争など)を経て絶対王政が動揺し、アメリカ独立革命とフランス革命という「市民革命」が起きたことによて、国家主権は国民が持つという意識が生まれた。また、

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    gabill 2023/09/18
  • プレスター=ジョンの伝説

    プレスター=ジョンの伝説 中世ヨーロッパの十字軍時代から盛んになった、東方にキリスト教徒の王がいるという伝説。12~14世紀の東西交流の中で盛んになり、ローマ教皇らキリスト教側がモンゴルと接触ようとして東西交流を促す背景ともなった。 中世ヨーロッパの12世紀、十字軍運動が展開された時代には、遠く離れた東方の世界に、キリスト教徒が住んでいて、その指導者のプレスター=ジョンが、十字軍を助けてイェルサレムをイスラーム教徒から奪回するためにやってくる、という伝説が広く信じられていた。13世紀に突然、東方から姿を現したモンゴルの西方遠征の騎馬部隊を、プレスター=ジョンの軍隊ではないか、と期待したが、彼らはキリスト教徒ではなく、ヨーロッパの町を破壊し、人々を殺戮して帰っていった。 ヨーロッパ人はモンゴル人を「タルタル人(ギリシア語の地獄を意味するTartarusからきたという)」と呼ぶようになった。モ

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    gabill 2023/06/13
  • ウクライナ

    ウクライナ 9世紀にはキエフ公国が繁栄。14世紀にはリトアニアの支配を受ける。18世紀にロシア領となり、ロシア革命で1917年に中央ラーダが成立、18年にウクライナ人民共和国として独立を宣言した。しかしロシアのヴォリシェヴィキ政権・ポーランドの介入などで混乱、22年にウクライナのソヴィエト政権が成立してソ連邦を構成する社会主義共和国となった。1991年、ソ連から分離独立。首都はキエフ。2014年からクリミア半島、ウクライナ東部を巡りロシアとの激しく対立している。2022年2月にロシアの軍事侵攻が始まり、その東部は苦境に立たされている。 ・ウクライナロシア平原の南、ドニェプル川流域から黒海の北岸、クリミア半島を含む広大で豊かな穀倉地帯である。この地には紀元前750年頃、カスピ海北岸からイラン系と思われるスキタイが移り住み、鉄器を使用する遊牧生活を送っていたことが、ギリシアの歴史家ヘロドトス

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    gabill 2022/12/29
  • ゲルマン人の大移動

    ゲルマン人の大移動 4~6世紀のゲルマン人がヨーロッパ全域に拡大した動き。西ローマ帝国を滅亡させ、中世社会を成立させ、ゲルマン人系のフランク王国が西ヨーロッパを制覇し、そこから現在のドイツ、フランス、イタリアが生まれた。イギリスもゲルマン系の民族が国家の根幹を形成した。但しゲルマン人はゲルマン以前のケルト系、ローマ時代以来のラテン系の人々と混合しながらヨーロッパ文明を形成した。 4世紀から6世紀に及ぶ約200年に及ぶゲルマン人の大移動は、一般に376年の西ゴート人のドナウ川越境から、568年の北イタリアでのランゴバルド王国の建国までとされ、これを第1次ゲルマン人大移動という。次いで8世紀に始まり、11世紀まで続いたゲルマン人の一派ノルマン人の移動を第2次ゲルマン人大移動という。 → 民族移動 背景 西進してきたアジア系騎馬遊牧民のフン人に圧迫されたのを契機に始まったとされるが、その当の理

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    gabill 2020/06/08
  • 世界史の窓

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    gabill 2020/01/31
  • 分割統治

    分割統治 古代ローマがイタリア半島の被征服都市を統治した方式。他にもイギリスのインド統治などでも見られた。 ローマが半島統一戦争で服属させたイタリア半島内の都市に対し、一律に支配するのではなく、与える自治権、市民権の程度によって、植民市・自治市・同盟市の三種類に分けて支配し、さらに都市間の関係を認めず個別支配をした統治形態を分割統治という。 都市間に格差を設ける ローマ市民権はギリシアの市民権と違って、ローマの征服地にも拡大されていったが、その付与に当たって格差が設けられた。都市間に格差を設けたのは、共通の利害をもたせないための工夫であり、「分割して統治せよ」というい考えに基づいていた。三種類の都市の市民権・自治権の格差は次のようにまとめることが出来る。 植民市(コロニア):市民権はローマ人と同等に認められたが、自治権は認められなかった。ローマ市民のみが入植したローマ市民植民市とラテン諸都

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    gabill 2019/12/26
    “「分割して統治せよ」”
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