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  • 無量寿寺(むりょうじゅじ)「栃木県真岡市」

    真岡市の北部の、井頭公園にほど近い場所に立地します。 由緒 無量寿寺の創建は、西暦1375年に専修寺住職定恵の法弟定祐が籠谷村(現真岡市籠谷)に開山したのが始まりと伝えられています。 中世には、芳賀氏の家臣籠谷氏の庇護となり西暦1573年~1593年に籠谷政高が現在地に伽藍を建立し天台宗へ改宗しています。 西暦1683年に火災により堂宇や記録、寺宝など多くが焼失しました、西暦1687年に祐山和尚が再興しました。 現在の山門は、真岡藩主稲葉正公ゆかりの政成寺にあった建物でしたが西暦1627年に、移されたと言われています。 山門

    無量寿寺(むりょうじゅじ)「栃木県真岡市」
  • 道の駅きたかわべ利用記録情報「埼玉」

    平日でも、混雑している直売所とレストラン、そしてレンタル自転車が、沢山並んでしました。 ウォータースポーツ・レジャーを楽しむ拠点、スポーツ遊学館が道の駅構内にあります。 農産物直売所では、地元産の新鮮野菜を販売しています、米が多く並んでいました、中でも、道の駅ので、初めて見ましたが、メダカが販売されていました。(用ではなく観賞用です) レストランでは、うどん、ぞば、定などが提供されていました。 冒頭にも触れましたが、平地の3県境の栃木県藤岡町と埼玉県加須市と群馬県板倉町が接します。

    道の駅きたかわべ利用記録情報「埼玉」
  • 須賀神社「栃木県小山市」

    社伝によりますと、創建は西暦940年に、藤原秀郷が天慶の乱(平将門の乱)に鎮圧した時に、現在の小山市中久喜に創建したのが始まりと伝えられています。 現在の地に移ったのは、西暦1156~60年に祗園城(小山城)築城時に会わせたと伝えられています。小山氏の信仰により隆盛しましたが、西暦1590年の小田原の役で北条氏が滅亡すると小山氏も所領が没収され一時衰退しました。 西暦1600年に、関が原の合戦の際、徳川家康が上杉討伐のため上杉家の鶴ヶ城のある会津(現福島県会津若松市)に進軍しましたが、石田三成の挙兵で、急遽須賀神社境内で小山評定(おやまひょうじょう)が行われました。 この小山評定により多くの豊臣家恩顧の大名を徳川方に味方に付ける事に成功したため、徳川家康は須賀神社に戦勝祈願し石田三成との決戦に臨みました。 徳川家康率いる東軍が勝利したため、感謝の意で須賀神社は徳川家の崇敬社となり社領51石

    須賀神社「栃木県小山市」
  • 成田山妙光寺(なりたさんみょうこうじ)「栃木県下野市」

    現下野市は、下野薬師寺や下野国分寺、国分尼寺が建立され、古代東国地方の仏教文化の中心地として栄えました。 今でも数多くの寺院が残っております、そのなかで唯一の日蓮宗寺院でございます。 成田山妙光寺は、和泉阿闍梨日法上人が西暦1311年に開山して以来、700年以上続く歴史ある寺です。 西暦2014年2月には堂・客殿・庫裡を建て直しました。真新しい木の色がそのままのこる、できたてのおてらです。また同年、副住職が帰山し、中山法華経寺祈祷根道場秘伝のご祈祷も始め、これから新たに活動の幅を広げようとしているそうです。 毎月1回、当山堂を利用してヨガ教室を開催しております。 堂を利用するにあたり、仏様の前で寝転がったり足を向けたりするので、みんなで数分間お経を読みます。 その後、副住職から「お盆とお彼岸の違い」や「なぜお塔婆をあげるのか」など身近な仏教の話があり、ヨガインストラクターからヨガの

    成田山妙光寺(なりたさんみょうこうじ)「栃木県下野市」
  • 道の駅思川利用記録情報「栃木」

    小山市は、栃木県南部にあり、国道50号沿いの、小山市中心市街地の西側に立地します。 栃木県内の道の駅としては、毎年1位2位を争う人気度の販売技術は、他を圧倒していると思います、常に農産物などの、品切れを極力無くす努力は、他の道の駅から、視察に来るほどです。 地元の農家の野菜を中心に販売されます、内陸部には、珍しく鮮魚コーナーがあり新鮮な海産物が、販売されています。 また、レストランでは、小山ブランド豚柔らかお肉の、おとんが提供されています。 利用回数と利用形態 昼間の利用で、初めて利用しました、そのご複数回利用しました。 案内地図 施設情報

    道の駅思川利用記録情報「栃木」
  • 足利尊氏開基の観音堂「栃木県真岡市」

    山いきものふる里根山自然観察センターの玄関口にあたる、根山の麓にあります。 先日紹介しました、大雄山能仁寺の近隣です。 関連記事 足利尊氏開基の能仁寺(のうにんじ)「真岡市」 聖観世音菩薩と馬頭観世音菩薩を尊として、西暦1338年に足利尊氏が開基したといわれています。この地根境沢地区に建立されたのは、次のようないわれがあります。 西暦1320年7月9日の夜に、足利尊氏が十五歳のときに、夢枕に異形の僧侶が立ち「自分は根境沢の土中に埋没している観世音である武運長久を願い大将軍を望むならば、来て我が体を拝せよ」というのでありました。掘り起こしてみると、聖観世音と馬頭観世音が白蛇と黒蛇が護られていました。足利尊氏は深く感銘してこれを尊信して、ここに安置されたと言われています。更に、堂の守護として、五年後、西暦1343年大雄山能仁寺を建立したといわれています。 堂 道路が狭いカーブ

    足利尊氏開基の観音堂「栃木県真岡市」
  • 200系ハイエースメーター裏異音対策とパネル解体手順

    100系ハイエース時代までは、ビス類で固定してある箇所が、何カ所かありましたが、200系ハイエースのパネル類は、ビス類の固定は無く、外し方の手順や、強引に外すと復旧時にガタが出たり隙間などが出てしまいますから注意が必要です。 ヒーターで充分加温 夏場の、高温時は別として、エンジンを暖気して、ヒータで加温した状態から作業することをお勧めします。特に初めて外すときは、十分に温めます、我がハイエースは、数え切れないほど外していますので、今の季節の昼間でしたら、そのまま外しています。 左側のドア吹き出し口パネル まずは、左側(助手席側)のドア吹き出し口のパネルから外します。

    200系ハイエースメーター裏異音対策とパネル解体手順
  • dioAF68今シーズン最終メンテナンス2016

    dioAF68メンテナンス2016 まずは、オイル交換から行いました。 オイル交換 前回は5月25日に8811kmで交換後、今回の走行距離は11768kmでしたので、2957kmも走行してしまいました。通常は1500kmから2000kmを目安に、交換をしていましたので過走行と言うことになってしまいますね。 今回も、前回と同じオイルCastrolGo10W-30を使用しました。 新聞紙を、平らにひいてその上に新聞紙オイル受けを置いて、使用済みオイルを排出します。 排出終了したら、自治体の燃えるゴミ収集袋に入れて、廃棄します。良い考えです廃油グッツを買わなくても、完了しますよ。 前々回まで使用していたオイルCastrolActiv10W-40部分合成油は、オイルの汚れた色が、極めて早い時点で、確認できましたが、今回のオイルは3000km近く走行しても、1000km走行と同じような色具合でした。

    dioAF68今シーズン最終メンテナンス2016
  • 祇園城跡(小山城跡)「栃木県小山市」

    栃木県の南部にある小山市の、JR小山駅から、西進して国道4号を渡ると小山市役所があり少し先に思川があります、その手前の北側一帯が、祇園城跡(小山城跡)になります。現在は、城山公園として、市民に親しまれてします。 小山氏は佐野氏と同じく、藤原秀郷の子孫で、鎌倉期には小山に領地を持っていたと言われています。南北朝の騒乱では小山朝氏は南朝方についたため勢力が衰えました、小山氏の下野守護職は宇都宮氏に奪われ、さらに一族が分裂して、朝郷の弟氏政が北朝について争い家督を嗣ぎました。 下野守護職と所領を巡る宇都宮氏との対立を招き、鎌倉公方足利氏満の介入を招き小山義政は降伏しまた。 西暦1560以後の上杉謙信の関東進出以後は、小山氏も周辺の大名同様、上杉、北条の間で帰属を変えて、一族を守ろうとしました。 このため、双方から攻撃を受け、降伏、復帰を繰り返しました。上杉氏の侵攻がなくなると北条氏対佐竹氏の対立

    祇園城跡(小山城跡)「栃木県小山市」
  • 道の駅那須与一の郷利用記録情報「栃木」

    那須与一の扇をモチーフにした駅舎の屋根と、那須与一の銅像がお出迎えします。 併設の与一伝承館では、屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたエピソードを、 映像とからくり人形により再現しています。 展示室には那須家伝来の宝物をはじめとする貴重な資料を展示しています。 農産物直売館では、地元の生産者が朝採りした新鮮野菜や農産物加工品、花卉が提供されています。 レストラン扇亭では、大田原産のコシヒカリや四季折々の新鮮野菜を取り入れた定や、道の駅定番の手打ちそば類は、好評でお勧めです。 道の駅の隣には、国指定重要文化財の那須神社があります、道の駅の駐車場に停めて、徒歩で探索でき大変便利です。

    道の駅那須与一の郷利用記録情報「栃木」
  • 千手観音堂と千手観音「栃木県真岡市」

    真岡市の南東部にあり、茨城県筑西市に抜ける峠の切り通しの西側、栃木県道179号沿いにあります。 境内に上がるまでの、木杭の階段や、石段はありません。歩いた跡すら見当たりませんので、土手を滑りそうになりながら、愛犬に引っ張って貰いながら、登りました。 境内は、草地ですが、地区氏子の方々が清掃されているのでしょう、綺麗に草を短く刈り取ってありました。 しかし、修復の予算が、捻出できないのでしょうか、建屋はかなり老朽化している様子です、内部も荒れ果てている様子です。

    千手観音堂と千手観音「栃木県真岡市」
  • 三宮神社(さんのみや)「栃木県真岡市」

    三宮神社(さんのみやじんじゃ) 三ノ宮神社と言う方も居ますが、石碑に三宮神社と刻んでありますから、三宮神社として紹介します。 真岡市の南東部にあり、旧二宮町から益子町に抜ける、栃木県道166号と真岡市中心市街地抜ける、栃木県道119号の交差点付近に立地します。 田園風景の中の、生え抜きの方々の住宅地にあり、住民のより所のになっていることでしょう。 案内地図 由緒 西暦1717年(享保2年)神祇官領卜部謙敬より宣旨、西暦1719年(享保4年)に、現在地に遷宮したと伝わります。 主祭神は、伊邪奈美命・速玉之男命・豫母津事解之男命 境内社は、八坂神社・稲荷神社・天満宮・八幡宮 石碑・鳥居

    三宮神社(さんのみや)「栃木県真岡市」
  • 道の駅にのみや利用記録情報「栃木」

    真岡市は、栃木県の南東部にあり、国道294号沿いの、旧二宮町の中心市街地の南側の茨城県筑西市の県境に立地します。 旧二宮町には、かの有名な二宮金次郎(二宮尊徳公)の名の由来になった町でした。 真岡市は、SLを運行している鉄道で知られている、真岡鉄道の社がある自治体です。

    道の駅にのみや利用記録情報「栃木」
  • 天満宮(北古屋城跡)「栃木県茂木町」

    茂木町は、栃木県東部にあり、栃木から茨城県境の那珂川にかかる国道123号沿いの、那珂川大橋の茂木側の、道路は山に沿って大きく東にカーブする、このカーブの東端部分に、北古屋城がありました。 かつては、飯野小学校と使用していましたが、現在は飯野ふれあいセンターと天満宮として使用されています。

    天満宮(北古屋城跡)「栃木県茂木町」
  • 正定寺(しょうじょうじ)「茨城県古河市」

    古河市は、茨城県の北部にあり、渡良瀬遊水池と隣接する、都市型の街です。 JR宇都宮線古河駅沿いに、中心市街地がありその西側の住宅街の一角に立地します。 由緒 西暦1633年、徳川幕府大老を務めた古河城主の土井利勝が開基しました。当誉玄哲(とうよ げんてつ)が開山にあたりまして、土井家歴代の菩提寺となりました。古河城観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接して、大手門に近い武家地に立地していました。 黒門 旧土井家江戸屋敷表門(黒門) 東京の郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷表門を、西暦1933年に移築しました。古河市指定文化財になっています。

    正定寺(しょうじょうじ)「茨城県古河市」
  • 200系ハイエースDX後付けイージークローザー配線フロー図

    色分けしてある配線は、上から白地に黒の線(細)、青、赤、黄、白地に黒線(太)が既存のハーネスに敷設されています。どれか一でも間違えば、不動になりますが、間違うと重大な結果になりかねません、最重要なのは、黄色の線クローザーのソレノイドバルブのコイル用電源になります。 ハーネス加工 続いて、下図のように配線を加工します、出来たら配線をまとめる前に、動作確認して下さい。確認が済んだ後に配線を綺麗に束ねて下さい。 図にも示したように、1番に、電源供給が必要です、バッテリーから直接繋いで、ガラス管フューズ(15A)を付けました。15Aは根拠がありません、手持ちで15Aがあったのでつけました、過電流で遮断した事がないので、問題ありません。 2番に、半開信号を接続します、フューズBOXのターミナルやルームランプなどから、分岐する方法がありますが、この時は半ドアSWから直接分岐しました。通常誤動作防止に

    200系ハイエースDX後付けイージークローザー配線フロー図
  • 三毳不動尊(みかもふどうそん)「栃木県藤岡町」

    佐野市に隣接する、藤岡町の道の駅みかもの隣に立地します。 三毳不動尊は、ご覧のように小高い位置にあります。裏側に大きくそびえ立っている山が三毳山です。古来から万葉集でも詠まれている名山です。 由緒 三毳不動尊は平成10年に落慶しました、真言密教の祈願寺です。 「葛井山 千手観音寺」(佐野市富岡町)の分院で、[三毳山にあるお不動さま]から、通称[三毳不動尊]と呼ばれています。 お堂の中には不動明王が祀られ、左尊には延命地蔵・右尊には弘法大師が祀られています。 年始は新年の初詣から始まり、戌の日には安産祈願、大安日にはお宮詣り、七五三、地鎮祭、お稲荷様、井戸・上棟式等のお祓い。また、日常には、水子の供養や法事・法要等も予約で行います。

    三毳不動尊(みかもふどうそん)「栃木県藤岡町」
  • 道の駅もてぎ利用記録情報「栃木」

    茂木町は、栃木県東部にあり、国道123号沿い、真岡鉄道の線路との間にあり、きつい登りを力強く走るSLを、駅構内から見ることができます。 画像は、道の駅の南側の公園内から道の駅舎を撮影しました。 概要 栃木県第一号の道の駅として開業して以来、人気の道の駅です。 昨年には、国土交通省から道の駅全国モデルに選定されました。 地域活性化の拠点として、特に優れた機能を継続的に発揮していると認められる。「道の駅」を核とした6次産業化や地域のにぎわいの拠点、地域の防災拠点などだそうです。 野菜直売所では、地元野菜を中心に、販売されています。 十石屋のゆず塩らーめん 連日並んで、待つほどの人気です。 ゆず塩を使った鶏がらスープをベースに、茂木産柚果汁、ユズ皮もふんだんに使用して、キャベツやニンジンなど、新鮮な野菜類もたくさん乗っています。 柚果汁と米酢を独自ブレンドした、ゆず酢を入れるとさらにユズの風味が

    道の駅もてぎ利用記録情報「栃木」
  • 道の駅湧水の郷しおや利用記録情報「栃木」

    塩谷町は、栃木県西部にあり、大田原市から日光市まで延びる国道461号沿いに立地します。 2016年文化勲章に受章が決まった、作曲家船村徹氏の出身地でもあります。 旧国道461号は、住宅街を貫通していましたが、バイパスとして新設された国道は長閑な田園地帯の中を通し、道の駅が現れます。 湧水の里しおやのネーミングは、街財産である尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)にちなんでします。 農産物直売所では、地元農家の朝採り野菜が並びます。 また農村レストランでは、尚仁沢湧水でつくった、風味のある「田舎そば」と、石臼挽きの「湧水そば」の2種類があります。 飲館(フードコート)では、ソフトクリームや米粉ピザ、シフォンケーキ、日光天然氷のかき氷、鮎の塩焼き、たこ焼き、特製焼きそば、牛すじカレーなどが提供されています。 広い芝生のエリアがあり、小さいお子さん達が、サッカーをする様子が、楽しそうで見入りまし

    道の駅湧水の郷しおや利用記録情報「栃木」
  • 田中正造公の隠居所「栃木県佐野市」

    田中正造公は、西暦1841年11月3日に栃木県佐野市小中町(旧旗川村)で、旗六角家の当主である富蔵、サキ夫の長男として生まれました。 当主になった正造は、不正をはたらく領主と対立することの苦難を乗り越えまして、自由民権運動家として、また栃木県議会の指導者となってゆきました。 第1回総選挙で衆議院議員に当選しました、そのころ農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山の鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力しました。 しかし国の政策に改善が見られないままでしたが、西暦1901年12月10日、天皇に直訴しました。 その後、鉱毒事件は社会問題にまで広まりましたが、解決せず正造は悲痛なおもいで谷中村に住みました、治水の名のもとに滅亡に追い込まれようとした谷中村を救おうと、農民とともに村の貯水池化に反対し再建に取り組みましたが、西暦1913年9月4日に71歳10か月で他

    田中正造公の隠居所「栃木県佐野市」