西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1992年〈平成4年〉3月21日)は、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。 ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる[1]。ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られ、現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれる[2]。 年表・年譜[編集] 1933年(昭和8年)2月14日 - 日本統治時代の朝鮮の京城府(現:大韓民国ソウル)で、解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれる。 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦後、日本に帰国して大阪府八尾市に移住する。 大阪府立八尾高等学校卒業後、大阪府立大学農学部(現・生命環境科学部)に進学。部活動は海外農業研究会に所属していた。 大阪府立大学大学院農学研究科に進み、中尾佐助に師事する。大阪市立大学