入来祐作が厳しい現実を突き付けられたのは2008年のシーズン終了後。テスト入団で入った横浜ベイスターズを1年で戦力外になり、引退後の身の振り方を考えていたときだった。 「現役を終えて『うちでスカウトをやらないか』とか、『コーチをやってくれないか』とか、そういうふうに声を掛けていただくことができなかったんです。たしかに私は球団を転々としたので、どこも面倒を見る必要はない。最後の横浜も力になれずに1年間しかプレーしていませんし、戦力外と言われたらそれまでなんです」 1996年のドラフトで本田技研工業(ホンダ)から読売ジャイアンツを逆指名して1位入団。1年目から中継ぎの主戦として57試合に登板し、5年目の2001年にはチーム最多の13勝を挙げた。感情をむき出しにし、気合を前面に押し出した投球で2度の日本一にも貢献した。 引退直後はなんのオファーもなかった 2004年からは北海道日本ハムファイター
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