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*animeと感想に関するgarakuhaのブックマーク (3)

  • 魔王14歳の幸福な電波 - 「つまらない理由」をいくら列挙しても「面白い」という評価は否定できない

    「この作品にはこんなに厳然とした"つまらない理由"があるのです。だからこの作品はつまらない。そうでしょう?」といった種の物言いは一見もっともらしく聞こえます。 でも「作品の面白さ」とは「面白さ」と「つまらなさ」の単純な引き算で決まるような性質のものでないことを私たちは知っています*1。なにしろここは、「つまらないけど面白い」といった状態が平気で存在する世界なのです。 「作品がつまらない理由」を列挙することで「その作品に対する面白いという評価」に対抗しようというのなら、それはあまりにも分の悪い勝負です。なにしろ、彼らは厳然とした事実として今も確かにその作品を「面白い」と感じているいるのですから。「その面白さは作り手に踊らされた結果生じた偽物の感覚だ」とか「その作品の面白さは批評的に誤りだ」といった主張の、なんと空しいことでしょう。 その作品が人々に好意的に受け取られることが我慢ならないなら、

    魔王14歳の幸福な電波 - 「つまらない理由」をいくら列挙しても「面白い」という評価は否定できない
  • 『らき☆すた』は日常を描いたのか? - tukinoha’s blog

    「こんなにスポーツ出来るのに、何で運動部とかに入らないの?」 「だって部活に入るとさぁ……ゴールデンタイムのアニメが見れないじゃん」 『あずまんが大王』が「ありそうでありえない日常」を描いたとすれば、この『らき☆すた』は「当にありそうな日常」を描いている、と感じさせる点で異質な作品であると言えるのかもしれません。「チョココロネは頭と尻尾のどっちからべる?」なんて「たい焼きは頭と尻尾のどっちからべる?」と同じレベルの、ごく日常的な会話ではありませんか。 このような固有性のない繰り返される日常を「物語」として成立させているのは形式であると言えます。そもそも京アニの作画が賞賛される原因として、単純に作画が優れていることと共に、形式を知覚させること、「ここは作画に注目だ」と視聴者に教えるような作品構造をとっていることが挙げられるでしょう。『らき☆すた』においてはOPとだけではなく編において

    『らき☆すた』は日常を描いたのか? - tukinoha’s blog
  • ウルトラマンの現われなかった架空史としてのエヴァンゲリオン - Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館

    (注:下記の文章はネットでの考察サイトなどを参考にして書いたもので,いくつかの作品について,見てないか記憶に残ってません。一つの妄想としてお楽しみください。) ホットエントリに上がってたので下記の記事を見る。 地球に知的生命が発生する以前、宇宙のどこかに高度な知的生命体が誕生しました。... エヴァンゲリオン - エヴァンゲリオンを10巻まで読みました、ビデオも26... - Yahoo!知恵袋 ざっと読んで,非常に整合性がとれていることに驚く。でもこれ妄想設定だよね,白き月とか宇宙人とかそんな話劇中でなかったもんね,などと思いつつ,気になって少し検索。 参考: 使徒 (新世紀エヴァンゲリオン) - Wikipedia http://homepage3.nifty.com/mana/eva-shi1.htm http://homepage3.nifty.com/mana/eva2kimit

    ウルトラマンの現われなかった架空史としてのエヴァンゲリオン - Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館
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