今から59年前の寒い冬の夜、旧ソ連中部にあるスヴェルドロフスクから、10人の若者がスノートレッキングと呼ばれる、冬山登山に出発した。 目指すはスヴェルドロフスクから500キロほど北、ウラル山脈にあるオトルテン山の山頂。 パーティーは冬山のエキスパート、隊長のイーゴリ・ディアトロフや、地質学に詳しいユーディンなど男性8名、女性2名の計10名。 みんなウラル工科大学などで学ぶ大学生だった。 この登山の目的は単なるレクリエーションではない。 彼らは、ソビエト共産主義のもと強化された「スポーツマスター」と呼ばれる、アスリートを育てる資格の取得を目指していた。 今回の、オトルテン山へのアタックは、成功すれば全員がその資格を得ることができる、極めて重要なテストだった。 隊長のディアトロフは経験豊かで人望もあり、隊員からの信頼は厚かった。 出発から5日後、ディアトロフ隊は最後のポイントに到着。 翌、1月