タグ

2019年2月3日のブックマーク (3件)

  • 奇跡体験!アンビリバボー:ディアトロフ峠事件60年目の真実 - フジテレビ

    今から59年前の寒い冬の夜、旧ソ連中部にあるスヴェルドロフスクから、10人の若者がスノートレッキングと呼ばれる、冬山登山に出発した。 目指すはスヴェルドロフスクから500キロほど北、ウラル山脈にあるオトルテン山の山頂。 パーティーは冬山のエキスパート、隊長のイーゴリ・ディアトロフや、地質学に詳しいユーディンなど男性8名、女性2名の計10名。 みんなウラル工科大学などで学ぶ大学生だった。 この登山の目的は単なるレクリエーションではない。 彼らは、ソビエト共産主義のもと強化された「スポーツマスター」と呼ばれる、アスリートを育てる資格の取得を目指していた。 今回の、オトルテン山へのアタックは、成功すれば全員がその資格を得ることができる、極めて重要なテストだった。 隊長のディアトロフは経験豊かで人望もあり、隊員からの信頼は厚かった。 出発から5日後、ディアトロフ隊は最後のポイントに到着。 翌、1月

    奇跡体験!アンビリバボー:ディアトロフ峠事件60年目の真実 - フジテレビ
    garamani1983
    garamani1983 2019/02/03
    閲覧注意。画像多数、ものすごく怖いです。
  • ディアトロフ峠事件 - Wikipedia

    ディアトロフ峠事件(ディアトロフとうげじけん)とは、1959年2月2日の夜、ソビエト連邦のウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件である。 事件は、ホラート・シャフイル山(Kholat Syakhl、Холат-Сяхыл、マンシ語で「死の山」の意[注釈 1])の東斜面で起こった。事件があった峠は一行のリーダーであったイーゴリ・ディアトロフ(ディヤトロフ、ジャートロフ、ジャトロフ、Игорь Дятлов)の名前から、ディアトロフ峠(ジャートロフ峠、ジャトロフ峠、Перевал Дятлова)と呼ばれるようになった。 当時の調査では、一行は摂氏マイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出した(矛盾脱衣)とされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は眼球および舌を失っていた[1

    ディアトロフ峠事件 - Wikipedia
    garamani1983
    garamani1983 2019/02/03
    この項目、昨夜寝る前にタブレットで読んだら怖くて眠れなくなって、今日の日中は寝不足で危険がデンジャラスだった。おそろす。
  • ロシア検察、60年前の「ディアトロフ峠事件」を再調査 雪山で9人怪死の謎(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

    【AFP=時事】ロシア検察は1日、1959年に雪深いウラル山脈(Ural Mountains)で9人の登山グループが謎の死を遂げた「ディアトロフ峠事件」を再調査していると明らかにした。 1959年2月1日夜、イーゴリ・ディアトロフ(Igor Dyatlov)氏率いる経験豊富な登山者9人がウラル山脈で死亡した。60年前に起きたこの事件は旧ソ連時代に解決されず、死因について遺族を悩ませているほか、宇宙人説から核実験の失敗説まで、さまざまな臆測を呼んできた。 空からの1週間にわたる捜索の後、放棄され、切り裂かれたテントが発見された。それから、山腹のあちこちで、ひどく傷ついた9人の遺体が見つかった。刑事事件として2月26日に捜査が開始されたが、3か月後に打ち切られた。事件は1970年代まで機密とされていた。当時のソ連の捜査当局は、殺人ではないとして捜査を打ち切ったが、9人の死因についてそれ以上説明

    ロシア検察、60年前の「ディアトロフ峠事件」を再調査 雪山で9人怪死の謎(AFP=時事) - Yahoo!ニュース
    garamani1983
    garamani1983 2019/02/03
    低体温症と発狂による遭難死だと思う。宇宙人だとかの非科学的な風説や、ソ連時代の隠蔽だとかの批判をなくすために、ロシア政府は再調査に乗り出したのかな。しかし雪山遭難は怖い。