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政治と漫画に関するgauquiのブックマーク (3)

  • 正義の味方と悪の大魔王―『20世紀少年』についての小論 - on the ground

    以前書いたように、漫画『DEATH NOTE』には相対主義的な正義観が貫かれている*1。この作品の世界においては勝者こそ正義であり、そこでは、「思想の相対性」を超越するような「真の正義」が在り得るのか否か、在り得るとしたらそれはどのような正義か、といったような倫理的な問いは初めから放棄されている。私自身は価値相対主義者なので、そうした正義観そのものに違和感を覚えることはない。けれども、絶対的な「真の正義」が在り得るのかという問いが、子供でも言えるようなシニカルなだけの答えを返すことで切り捨ててしまってよいものだとも思わない。 それゆえにこそ、私は過去にこの問題をやや詳細に扱ったのだが*2、ここではそうした政治哲学的議論の傍らに寄せる小論という形で、『DEATH NOTE』に対置されるべき作品である漫画『20世紀少年』について若干のことを述べてみる。「真の正義」をめぐる問いと絡めて『20世紀

    正義の味方と悪の大魔王―『20世紀少年』についての小論 - on the ground
  • 『DEATH NOTE』に思想は無い - on the ground

    2006/11/29(水) 23:01:20 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-237.html 過去の連載エントリ「神と正義について」を書く動機の一つとなったのは*1、二つの漫画作品を読んで感じたことであった。ただ、それについては資料が十分に整わず、連載の主題との関連性も必ずしも高くないと判断したので、今日まで先送りにしてきた。残念ながら現在も資料が整うには至っていないために未だ十分なものを書くことは不可能であるが、いつまでも宙吊りにしておきたくはないので、ひとまず書ける範囲をまとめておく。連載の補論として考えることも可能だが、特別何かを補っているわけでもないので、一応独立したエントリとして扱う。 『DEATH NOTE』には、相対主義的な価値観が貫かれている。夜神月(=キラ)は神(悪魔)的な力で犯罪者と自己への抵抗者を次々と死に至らしめていく。

    『DEATH NOTE』に思想は無い - on the ground
  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

    『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground
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