大江健三郎とアマルティア・センのケイパビリティ・アプローチ (1) 十代後半から二十代前半にかけて、大江健三郎をよく読んだ。当時の彼の作品は全部、読んでいたように思う。難解と言われた文章を読むのが心地よく感じる年頃で、私にとっては生真面目に文学をする大江が、あたりをはらうように光っていた。 その後、米国で社会学をするようになり、私は忙しさに追われて、日本語の本を読まなくなった。小説以外に読みたい本がたくさんあったので、数年に一度ほど手にする大江の新刊や古本も、そんな本の中に埋もれていた。 ところが、2・3年前、早朝パリに向かうTGVの席で、「『自分の木』の下で」(朝日新聞社、2001年)を読んでいた時のことだ。病気になったこどもの大江と母親とのやり取り(ぺージ12〜13)のところで、思わず泣きそうになった。 それから思いがけないところで、大江に「再会」することがあった。いつものようにアマル