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ブックマーク / white-cake.hatenadiary.com (5)

  • 父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe

    すげえ腹立つわ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』 この記事を読んで、思い出した話をします。 小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。 私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯をべないなんて想像を超えた事態のように思えました。 寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く事を用意して、 「これとこれはちょっとあっためてべなさい。こっちはそのままで大丈夫」 などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。 ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。 母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。

    父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe
    gdno
    gdno 2015/05/11
    いい話だなあ。お父さんのアプローチも面白い。こういうのが「夫婦で子供を育ててる」って感じがする。お父さんの育児の役割は「妻のお手伝い」じゃないんだよなあ。
  • 人生激変報告 - wHite_caKe

    お久しぶりです。シロイです。ほんとはそこまで久しぶりじゃなかったかもしれないんですが、なんか気分的にすごく久しぶりなのですというか、なんだこのごちゃごちゃした前置き。 実は入院してました。出産したもので。そんで退院もしたんですが、ご多分に漏れず育児ってやつに忙殺されてます。 赤子、マジバネエ。こっちの生活、マジ根から変えてくる。なんせ言葉が通じねえ。 私は自分の過去話をブログに書いてるくせに、セキゼキ(仮名)さんと入籍してもう三年以上経つのにそのことに一切触れてなかったりします。だってなんか気恥ずかしかったし、時間が空いたらますます書きづらくなったよ? なので出産話も書かずにいくことも考えたんですが、さすがにコドモが生まれたらものの見方とか興味関心とか激変するかもしれないから書かないとか無理だなと思って今、なわけです。 高齢出産なのでなにがどうなるかわからないから無事生まれるまでは書かな

    人生激変報告 - wHite_caKe
    gdno
    gdno 2015/02/28
    あの増田さん!おめでとうございます。やっぱり赤ちゃんがかわいかったかー!
  • 女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。 - wHite_caKe

    私はもし自分が娘を持ち、彼女がうんと美人かうんとブサイクのどちらかだったら女子校への進学をすすめたいと思っています。そんで、そのどちらでもない親のひいき目からすれば世界一ラブリーだけれども世間的にはまあ並みだよね的な女の子であれば、共学に進学してほしいなと、昔からそのように思っています。 この思いが自分の個人的な経験から形成された偏った考えであることはじゅうじゅう承知していますので、漠然と「思う」だけで、実際にはどうこうするつもりはないんですけど。 私自身は、高校のみ女子校で過ごしました。なので、女子校というものにはメリットがあるな、と思っています。 色恋に関わることなく清らかに過ごせるとかじゃないですよ。女子校だろうとなんだろうと、行動力があって恋愛に興味がある子は、普通に恋人を作りますからね。 私の思う女子校のメリットの第一は、自立心が養われやすいところです。女子生徒しかいないので当た

    女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。 - wHite_caKe
    gdno
    gdno 2014/09/13
    容姿に自信ない女の子も、逆に、男ばかりの学校に入っても比較対象が少ないゆえに大切に扱ってもらったりはあるかも。/男子校出身の夫は子供には絶対男子校を勧めないと言っておりました…。理由は聞いてませんが。
  • 消えた女の子 - wHite_caKe

    私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自

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  • 時折、世界は残酷で - wHite_caKe

    私がまだ、小学生の頃のことでした。 父のもとに、知らない女のひとから、電話がかかってきました。 「私の主人は末期の癌で、もうすぐ死にます」 「主人は、子どもの頃、シロイさん*1に良くして頂いたことを、よく懐かしがっていて」 「死ぬ前に一度、シロイさん*2にお会いしたいと」 父ネコヒコ(仮名)は神妙な顔で電話を切りました。 「お父さん、その友達に会いに行くの?」 「行かないよ。ちょっと遠すぎる」 そう言って父が挙げた地名は、確かに私たちの住まいからひどく遠い場所でした。 「それに……なんというか、それほど親しい友達ではなかったんだ、おれたちは。少なくともおれは、今電話を貰うまで、あいつのことを思い出しもしなかった。そう、思い出しもしなかったんだよ……」 それから父は、ぽつぽつと、思い出話を始めました。 「貧乏なやつだったんだよ。もちろん、おれたちの子どもの頃は日全体が貧乏で*3、全員似たり

    時折、世界は残酷で - wHite_caKe
    gdno
    gdno 2006/12/02
    つまりその後もネコヒコさんを忘れるほどの友人はできなかったってことか…。でも奥さんがいる。せめてもの救いか。
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