「完全に『有吉の壁』だと思います。僕らで言うとやっぱり菅さんがネタ書いていて、菅さんが面白いんですけど、そこにライトが当たるときが少なかったんですよね。3人で出てても尾形さんを皆さんでイジって、僕がツッコんで終わる、みたいな。それが『有吉の壁』で、『菅が一番面白いね』ってなったら、やっぱりバランス良くなって」 11月に放送された『ロンドンハーツ』の対談企画で、バイきんぐの小峠英二に「最近の好調ぶりの理由」について聞かれた際に、そんな風に語っていたのがトリオ芸人・パンサーの向井慧だ。
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立ち食い・大衆系そば屋にはあって、老舗・町そば・手打ち系そば屋ではほとんど御目にかかれないそばの具材がある。「コロッケ」と「春菊天」である。今回の話題は「春菊天そば」。 春菊といえば、「すき焼き」などに入っている青物という位しか想像できないという方も多いと思う。関西で明治以降に誕生したといわれる「すき焼き」では、ねぎや春菊(関西では菊菜といわれている)を薬味として使っていたようだ。関東大震災後、関東でも「すき焼き」が「牛鍋」と融合して広まっていったという。 当時の牛肉は匂いが強く、ちょうどハーブやパクチーのように香りの強い薬味でそれを打ち消そうと考えて春菊が選ばれたのだと思う。すき焼きの季節は晩秋から冬なので、ちょうどその頃、旬を迎える春菊はうってつけだったというわけである。パクチーやねぎが好きでたまらないという人はたまにいるが、春菊も十分な和製ハーブといってよいと思う。 しかし、話を現在
3年前の「嬉しそうな顔」を忘れられない しかしこの圧勝により、来年も都知事選があるかもしれない。 私は忘れられないのだ。小池氏が3年前に希望の党を結成したときに見せた国政復帰、いや、首相就任への色気を。自分に風が吹いていることを確信した嬉しそうな顔を。 希望の党はどこかにいったが小池氏はまたしても希望を抱き始めたはず。希望は「野心」と変換してもいい。 私だけの見立てだと思ったら違うようだ。都知事選翌日の紙面を紹介する。 「小池氏の心は国政へ?」(日刊スポーツ) 《都知事というポストには関心があるが、都政には関心がない小池さんは来年秋以降、国政に戻ることを考えるのでないか。自民党の二階敏博幹事長への接近の仕方を見ると、自民党に受け入れられる形をつくり、後継者のいない二階派を継承することを考えているのではないか。》(東京都庁の元職員でもある佐々木信夫中央大名誉教授) さらに日刊スポーツ名物コラ
取材班は3月以降、新型コロナウイルスのクラスターとなってきたホストクラブの内情について、たびたび警鐘を鳴らしてきた。だが、当のホストたちやオーナーの耳には届いていないようだ。 6月中旬、10人以上の感染者を出したホストクラブ「A」グループの店舗関係者はこう証言する。 「店では、従業員がコロナに罹っても、濃厚接触者の検査もせず、感染者以外のホストで営業を続けて、『コロナに負けるな』と売り上げを上げることに必死です。こんな状況なので、店舗内の感染者は増える一方なんです」 ホストクラブ「A」は、歌舞伎町の中心地の雑居ビル2Fにあり、「A」のほかに「B」や「C」など複数の系列店が営業をしている。業界では中堅グループに位置付けられる。6月中旬に「A」で数名、「B」「C」でも複数の感染者が確認されている。 ホスト店の看板が並ぶ歌舞伎町の一画 ©文藝春秋 「店は4月の緊急事態宣言の直後も、1週間ほど休ん
都内在住会社員の女性Xさんが「週刊文春」の取材に重い口を開く。 「たしかに私と渡部さんは、多いときには週2回ほど関係を持っていました。結婚後も別れることなく、トータルで30回は超えているかもしれません」 そのうち、渡部が密会場所として指定するようになったのが、東京都港区に聳える六本木ヒルズだった。 六本木ヒルズ ©iStock.com 「彼は『地下駐車場に隣接した多目的トイレに来い』と言うのです。エレベーターの前で落ち合って、トイレの鍵を閉めた瞬間に……。その後も彼はヒルズのトイレばかりを指定し、会える時刻を伝えると、地下2~4階にあるトイレを徘徊し、誰もいない階を確認した上で『地下○階ね。すぐ来て』と指示を出してくるようになったのです」(同前) 六本木ヒルズを管理する森ビルの担当者が困惑気味に話す。 「本来、多目的トイレは身体障害者の方などの利用を想定して設置されたもので(性的行為は)公
産経のハイヤーを降りて自宅に入る黒川氏 ©文藝春秋 また、5月13日にも同様に黒川氏はA記者宅に向かい、深夜までマージャンをしていた。 産経関係者の証言によれば、黒川氏は昔から、複数のメディアの記者と賭けマージャンに興じており、最近も続けていたという。その際には各社がハイヤーを用意するのが通例だった。 マージャンは密閉空間で4人が密集し、密接な距離で卓を囲む「3密」の典型で、東京都も雀荘に休業を要請している。また、少額でも賭博罪に該当する。 さらに、国家公務員倫理規程上も問題がある。人事院の見解は以下の通りだ。 「国家公務員が、会社の利益を目的とする人物(記者)から、社会通念上相当と認められる程度をこえて、接待や財産上の利益供与を受けている場合、国家公務員倫理規程に抵触するおそれがあります。そもそも賭けマージャンは刑法犯なので、そういう人物がいれば倫理法以前の問題。国家公務員法の98条(法
なぜ病床数を12→322へ増やせたか ――鳥取県では、新型コロナウイルスの感染者がゼロのうちから様々な対策を講じ、県内初の感染が分かってからも、平井知事の記者会見での説明が「わかりやすい」とSNSでも話題になっていました。 平井伸治知事(以下、平井) 新型コロナウイルスが中国で注目を集め始めた頃から、大きな影響がいずれ来るかもしれない、先手を打つことができればと考えてきました。実は私たちにとって、2009年に流行した新型インフルエンザ対策が記憶に新しいんですね。当時、鳥取県内にも感染が広がりました。「これは始まると早いだろう」とにらんで、1月21日から新型コロナウイルス対策の組織を鳥取県庁に立ち上げました。新型インフルエンザの時、我々が取り組んだ感染症対策をベースにして考えていこうと。 県内には高齢者の方が多く、基礎疾患を持つ方もいらっしゃる。そうした方々を抱えながら、病院の数は決して潤沢
つまり眠気を感じるのは、寝不足でもなければ集中力の欠如でもなく、はたまた花粉の影響でもなく、部屋の換気を怠っているからという可能性があるわけです。今回はそんな部屋の換気不足を手軽に測定できるCO2チェッカー「CO2-mini」を試しつつ、この二酸化炭素濃度と眠気の関係について紹介します。 「CO2-mini」。株式会社カスタムが販売する、現在もっとも手軽に使える二酸化炭素濃度測定ツールのひとつです 法令にも明記されている「二酸化炭素濃度は1000ppm以下」 この「二酸化炭素濃度は1000ppm以下を維持するべし」というのは、実はさまざまな法令にも明記されています。 例えば労働安全衛生法では、労働者が執務する事務所、つまりオフィスにおいて、CO2含有率は空調設備によって調整可能な場合、1000ppm以下にするよう定められています。このほか、建築物衛生法や建築基準法にも類似の規定があり、その
「ほんまお願いします。ミリオンセラー、よろしくお願いします!」 フジテレビ系の音楽番組『HEY!HEY!HEY!』で、司会のダウンタウンの一人、浜田雅功(当時31歳)がそう言って小室哲哉(同36歳)に頭を下げたのは、同番組が始まって2カ月後の1994年12月のことだった。小室はこの回、篠原涼子とゲスト出演した。ちょうど同年7月にリリースされた小室プロデュースによる篠原のシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」が、200万枚を売る大ヒットとなっていた。ダウンタウンとしては、バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』で共演する篠原のヒットに触発されたところもあるのだろう。また篠原以外にも、ダンスボーカルユニットTRFのシングルがあいついでミリオンとなるなど、このころには小室のプロデュースするアーティストは当たるというイメージができ始めていた。浜田が番組中のトークで「僕らにも(曲を)書いて
新海監督は1973年生まれ。幼少の頃からパソコンを使っていた、「パソコンの勃興とともに育った世代」だ。彼は1999年に公開した『彼女と彼女の猫』、2002年公開の『ほしのこえ』は、ほぼ一人で、自分が持っているMacで制作し、そこから監督としての第一歩を踏み出している。今回のキャンペーンは、そうした背景に基づくものだ。 「学生にチャレンジしてほしい」 そのメッセージは明確だ。では、新海監督はどのような思いで、自ら作品を作るようになったのか? 今の状況をどう見ているのか? 「つくること」「チャレンジすること」にまつわる彼の思いを聞いた。 「未来の象徴」を手にした少年時代 「子供の頃、コンピュータは『道具』という感じじゃなかったですね。文字を打つ文房具でもない。未来の象徴であり、最大のおもちゃ、という感じでした」 新海監督がパソコンと出会ったのは1983年、まだ小学校4年生から5年生の頃だ。Ma
「意思疎通できない障害者には生きる価値がない」と言い放つ植松聖被告に対して、あなたならどう答えるだろうか。 私の名前はダブル手帳(@double_techou)。身体障害者手帳1級(重度脳性麻痺)と精神障害者手帳3級(発達障害)を持っていることから思い付いた安易なペンネームを使って執筆している。生まれつき歩くことができず、背筋は湾曲し、右手も自由にならないため、電動車椅子で生活している。 両親に「ドーマン法」という障害者に対する苛烈な訓練を強いる民間療法(またはエセ医療)を受けさせられ、虐待されて育ってきた。本稿のキーワードである「ファシリテーテッドコミュニケーション(以後、FC)」と「ドーマン法」には密接な関係があり(注1)、そのことが本稿を執筆するきっかけの一つにもなっている。 障害者施設で「指筆談」が行われていた 相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた連続殺傷事件から2年経っ
制度開始から11年が経ち、5000億円規模の市場に成長したふるさと納税。一方で、過熱する「返礼品」競争を受けて、総務省は今年6月、ついに法規制を余儀なくされ、改正地方税法施行で「返礼品は寄付額の3割以下の地場産品」と基準が設けられ、それを満たさない大阪府泉佐野市などは制度の対象から除外された。すると泉佐野市は国を訴え、来年1月に大阪高裁での判決を迎えるなど騒動が続いている。 こうした混乱が起きることを危惧し、警鐘を鳴らしてきた官僚がいた。この官僚がこの度、ノンフィクション作家の森功氏の取材に対し、ふるさと納税は税制として間違っていること、そのことを「制度の生みの親」を自任する菅義偉官房長官に直言したが聞き入れられなかったことなどを詳細に証言した。 取材に応じたのは、かつて総務省内で事務次官候補と見られていた平嶋彰英氏。「ふるさと納税」をさらに広めるための寄付控除の上限倍増や、確定申告を不要
都築氏は1935年生まれ、愛知県出身。東京大学経済学部卒業後、1961年に日本テレビに入社した。中編では、『24時間テレビ』に寄せられている批判について、どう考えているかを聞いた。(全3回中2回目/1回目から読む) ◆◆◆ 「出演者はノーギャラでやるべきだ」について思うこと ――近年、『24時間テレビ』を批判する声が高まってきていることはご存知ですか。 都築 ええ、ネットも見ますので知っています。 ――『24時間テレビ』の発案者として、そのような批判についてどうお考えか、ぜひ伺いたいと考えています。まず「出演者はノーギャラでやるべきだ」という批判については、どうお考えですか。 都築 もしギャラを払わないということであれば、今の番組の形式そのものが成立しなくなってしまいます。別に、大スターだけがこの番組に出ているわけではないんです。『24時間テレビ』での収入が大きな足しになる人だっていますし
「本当は現役を辞めたくありません。続けたいと球団や会社に伝えましたが、『契約しない』と戦力外通告され、クビを切られました」 「週刊文春」にそう訴えた元女子プロ野球のA選手は、暗い表情で肩を落とした――。 11月1日、日本女子プロ野球リーグは、所属選手71人の半数にあたる36人の退団を発表した。 ◆◆◆ 女子プロ野球は、2010年にリーグが発足。度重なるチーム再編を経て、現在は「京都フローラ」、「愛知ディオーネ」、「埼玉アストライア」の3球団に加えて、若手育成に特化した「レイア」の計4球団がある。 「いずれの球団も、『ブルーベリーアイ』でおなじみの健康食品会社『わかさ生活』が一社で運営しています。女子プロ野球は経営難で、1球団あたり毎年約2億円の赤字。売上高144億円(17年)の企業がこれまで約100億円を負担してきたが、今年8月には球団を運営する企業や団体を募集しています。来季は2球団体制
1972(昭和47)年に最後の住人が下山し、廃村となった東京奥多摩の集落「峰」。今も山の中にひっそりと残る集落跡を訪れた私と編集者のTは、山を降りた後、往時を知る人がいないか、鳩ノ巣駅周辺で聞き込みをすることにした。(全2回の2回目/#1より続く) 「子供の頃から出入りしていたから、よく知っているよ」 まず向かったのは、駐在所である。お巡りさんに話を持ちかけたところ、その問い合わせ内容に少し戸惑いながらも、向かいにある喫茶店を指さし、ここのマスターなら知っているかもしれない、と先頭に立って歩き出した。そして喫茶店の扉を自ら開けると話をしてくれたが、その親切は実らず、取材の手がかりを得ることはできなかった。時刻はもう13時を回っている。登山の疲れが出始めてきたわれわれは、休憩がてら腹ごしらえをすることにした。 鳩ノ巣駅周辺には飲食店が3軒ほどあり、なかでも繁盛していそうな一軒に決めた。釜飯が
おいおい、そんなに早足で大丈夫かい、と後ろから見ていて心配になった。横に這った杉の根っこをうまく利用して作られた結構急な山道を、編集者Tは平地を大股で歩くように登っていく。前日、池袋の山道具専門店で購入したという茶色の登山靴が光っている。私のリュックは歩くたびに背中で音を立てる。クマよけの鈴がついているのだ。(全2回の1回目/#2へ続く) われわれが目指すのは、かつて峰という集落があった跡だ。1972(昭和47)年に最後の住民が下山し“廃村”になったと資料にある。住所は東京都奥多摩町。
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