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warに関するgenesinisterのブックマーク (6)

  • 特攻は素晴らしい戦術だったのか?:アルファルファモザイク

    戦術として、特攻(体当たり攻撃)は優れた方法だったのでしょうか? 当時、マリアナ沖海戦や、台湾沖航空戦のように、 何百機もが出撃しながら、1〜2隻損傷、出撃部隊は殆ど全滅、 みたいな冗談としか思えないような戦闘が続いていましたが、 それが特攻の開始によって、多少なりとも米軍に被害が出るようになっていますから、 私は有効な面もある方法だと思うのですが、他の方は違うのでしょうか? 皆さんのご意見をお聞きしたいです。

  • 失言も、首にならない、民主主義 - novtan別館

    と駄句をひねり出したくなる今日この頃ですね。 ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。 アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日帝国の軍隊の話だ。最終的に米国は勝者となった。極東の戦争とテロとの戦いには多くの差異があるが、核心にはイデオロギーをめぐる争いがある。 日の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。 http://www.asahi.com/international/update/0824/TKY200708240002.html ブッシュ大統領の素晴らしい歴史観に涙が出そうになります。 こう

    失言も、首にならない、民主主義 - novtan別館
  • 先帝陛下無敵伝説: miracleさん+BerryGarden

    いわゆる右系の方々には今日のこの日を「敗戦」と表現する方がいらっしゃいます。まあ、定義として確かに我々は負けたのですが、きちんと「負ける」ために身体を張って戦った人もいるわけで、そういう人たちに敬意を払う意味でもおいらは「終戦」と呼びたいなと思っています。 「戦争というのは統帥部が負けを認識したときに負ける」とか言ったのはフォシュ元帥だったと思いますが、1945年8月の時点で陸軍はまだ組織として負けを認識していなかったんですよね。先帝陛下、鈴木首相、東郷外相ら講和派の方々の任務はこの連中に負けを認識させることという極めて困難なものだったと考えています。何しろ奴らは軍隊組織と武器を持っていますから、それに奴らの強硬派はいい感じに南朝史観/平泉史観に染まっていまして「天皇らしくない天皇は代えてしまえ」とか言い出してましたし、実際に日光に疎開中の皇太子殿下(今上陛下)を擁立する動きもありました

  • ( ;^ω^)<へいわぼけ: 戦争がない世界にするにはどうしたらいいのか

    戦争がない世界にするにはどうしたらいいのか :様々なニュースを適当に貼っていくブログサイト。無駄な感想つき。 1: 留学生(兵庫県) 2007/08/03(金) 17:10:28 ID:ytVbYj0T0 平和のための戦争展:悲惨さ若者も見て 写真など展示--18日から野田と柏 /千葉 ◇燃料庫跡地調査、高校生が研究発表 被爆者体験談や講演も戦争の悲惨さを伝える「平和のための戦争展」が8月中旬以降、柏市と野田市で開催される。 99年の初開催以降、昨年までの8回は柏、流山、我孫子、野田市の団体や個人が実行委を組織して、柏市だけで開かれていた。 今回は「身近な場所で、より多くの人に見てもらいたい」と、柏、野田市の2カ所で開催する。 両実行委は「戦争の悲惨さを風化させないため、若い人も見に来てほしい」と訴えている。 柏展は、平和運動家など約40人と約20団体が実行委員会を組織し、24、

  • ( ;^ω^)<へいわぼけ: 常識的に考えて、戦争は本当に嫌なものだよね?

    常識的に考えて、戦争当に嫌なものだよね? :様々なニュースを適当に貼っていくブログサイト。無駄な感想つき。 1: 留学生(沖縄県) 2007/05/14(月) 16:44:44 ID:BM518JWs0 岸恵子が戦争体験8分間独り語り 日映画などの話題作が公開初日を迎えた12日、出演者たちが都内の各劇場で舞台あいさつに立った。石原慎太郎都知事(74)が製作総指揮・脚を手掛けた戦争映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」では岸惠子(74)が壮絶な空襲体験を熱っぽく語り観客の涙を誘った。 ハリウッド人気シリーズの最新作の公開日と重ならない好条件の日とあって、邦画8が一斉に封切られた。 岸は1人で舞台に立ち、脳裏に焼き付く体験を8分間にわたり語りかけた。1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲。12歳だった岸は母の言いつけでぬれた布団をかぶって家を飛び出した。周辺はあっという

  • 平和の帰着点としての戦争 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    ある左翼の人とじっくり離す機会が先日あって、評論化然とした北のほうの大学で教鞭をとる傍ら政権批判を繰り返し行ってきた分知識の蓄積が相応にあって面白かった。 私は保守主義者なんだけれども、相互に話して出た結論と言うと、同じ事象を認識していながら、コインの表裏で違う絵柄を見ているに過ぎないということだった。彼からすれば「戦争のできる国に日をさせていいのか」という問題意識であり、私は戦争をしたいとは言わずとも他国が戦争を日に対して志したときに今の日のありようでよいのかという危機感がある。それが有事法制であり憲法改正であり対外政策の基的なスタンスを規定するものであるのは言うまでもない。 政府のあり方や国民の立ち居振る舞いというのもあるけれども、価値観の大きな違いは社会に対する信頼感や、日人が日人としてどう生きるかという原則論の部分だろうと。例えばSFの世界で、サイバネティック社会の到来

    平和の帰着点としての戦争 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
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