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ブックマーク / number.bunshun.jp (90)

  • 「イチローや松井が例外だったんですよ」MLBでフロントを経験、斎藤隆が明かす“米国で獲得リストに挙がった日本人野手の名前”(中村計)

    「田中はメジャーのFA選手で、5の指に入る投手だった」 ――パドレスのフロント経験もある斎藤さんに、まずは、昨年から今年にかけてのアメリカのストーブリーグ戦線についておうかがいします。 斎藤 コロナ不況が直撃しましたね。その象徴が楽天に復帰した田中(将大)でしょう。今オフのメジャーのFA選手の中では、5の指に入る投手だった。チームによっては、真っ先に田中獲得に名乗りを上げたところもあったと思うんです。ただ、どこも懐事情が苦しい中で、田中クラスの選手に見合う条件を提示できなかった。結果、あれだけの選手が日に戻ってくることになったわけです。 ――今オフ、渡米を希望した日人選手は4人いました。巨人の菅野智之、ロッテの澤村拓一、日ハムの有原航平と西川遥輝です。有原、澤村は契約まで行きましたが、菅野と西川は契約に至りませんでした。ただ、2人は対照的で、菅野は「行かなかった」のに対し、西川は

    「イチローや松井が例外だったんですよ」MLBでフロントを経験、斎藤隆が明かす“米国で獲得リストに挙がった日本人野手の名前”(中村計)
  • 安藤美姫の“出産報道”、千葉すずバッシング…なぜ日本の女性アスリートはスキャンダルの対象になってきたのか?(近藤正高)

    「強い女性は男性から敬遠されがち」 日紡貝塚の女子バレーボールチームで主将を務めた河西昌枝は、結婚する前に、監督の大松博文の紹介で3人と見合いをしたが、相手の「優しさ」が「頼りなさ」に見えてしまい、すべて断ったという。厳しい競技生活を通じて精神的に自立したであろう彼女は、結婚する際にも、互いに依存することのない相手を望んだのかもしれない。 結果的に河西は良縁に恵まれたわけだが、女性アスリートの第二の人生には、いまなおさまざまな困難と制約がつきまとうのもまた事実である。それというのも、女性が精神的に自立することは、《結果として日社会の中での「女らしさ」という社会通念的な枠組みからは、はみ出していくことになる》からだ……と説明するのは、元柔道選手で現在はJOC理事を務める山口香(1964~)である(山口香『残念なメダリスト チャンピオンに学ぶ人生勝利学・失敗学』中公新書ラクレ)。 山口は、日

    安藤美姫の“出産報道”、千葉すずバッシング…なぜ日本の女性アスリートはスキャンダルの対象になってきたのか?(近藤正高)
    geopolitics
    geopolitics 2021/03/02
    「ナンシー関はかつて千葉すずがバッシングされたとき、その理由を、《視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が勝手につくった「感動をありがとう」に着地するはずの物語に乗ってくれなかったからである」
  • 【衝撃の交通事故】タイガー・ウッズに何が起きた? 「ひどく慌てていた」証言、大破したヒュンダイ製の車…(舩越園子)

    2月23日、午前7時12分(太平洋標準時)。 米ロサンゼルスの南西部にある高級住宅街パロスベルデス地区を南北に走るホーソーン・ブルーバードで「タイガー・ウッズが運転していた車が交通事故。重傷か?」という第一報を聞いたとき、みなさんは咄嗟に何を思い浮かべただろうか。 これまでウッズが挙げてきた数々の勝利が、彼の類まれなる才能と技術力と精神力によって達成されたことは疑いようもない。 だが、ウッズは常々、こう言っていた。 「勝つためにはラックも必要だ」 ラックとは、運のこと。それならば、運とは何かと言えば、その正体は誰にもわからない。おそらくは目に見えない不思議な力のことなのだろう。そして、ウッズが挙げた通算82勝には、きっと「運」という名の不思議な力が働いていたのだと思う。 とりわけメジャー15勝目となった2019年マスターズは、4度目の腰の手術後、リハビリ生活と戦線離脱を繰り返し、どん底から

    【衝撃の交通事故】タイガー・ウッズに何が起きた? 「ひどく慌てていた」証言、大破したヒュンダイ製の車…(舩越園子)
  • 高3で新人王に→センター試験まで2カ月半で勉強開始→大阪大合格… 父が知る糸谷哲郎八段の“受験勉強術”とは(沢田啓明)

    糸谷哲郎八段が棋王戦(渡辺明棋王)に初挑戦する。圧倒的な早指しで竜王を獲得するなど将棋ファンに強烈なインパクトを残すとともに、将棋界で初となる“プロ入り後、国立大に進学した棋士”となり、大学院にも在籍した異色の棋士だが、その父・康宏氏に愛息のこれまでの歩みや教育法を、中・高校時代の同級生だった筆者に語らい合ってもらった(全3回の3回/第1回、第2回はこちら) 糸谷八段は中国地方有数の進学校で学びながら、奨励会で将棋の修行を続け、高校2年で四段に昇段。高校3年でプロ棋士になった。それ以降の活躍ぶりについて聞いてみた(広島学院のことを「学院」、康宏氏のことを「糸谷」と記す)。 「将棋界は斜陽産業」発言で伝えたかったはずのこと ――高校3年の10月、若手棋士の登竜門である新人王戦で優勝。その表彰式で、「将棋界は斜陽産業。僕たちの代で立て直さなければ」と言ったのが物議を醸した。 「あのコメントの前

    高3で新人王に→センター試験まで2カ月半で勉強開始→大阪大合格… 父が知る糸谷哲郎八段の“受験勉強術”とは(沢田啓明)
  • 女子陸上選手はなぜ“セパレート型”ユニフォームを着る? 努力を踏みにじる「性的画像撮影」の卑劣さ(松原孝臣)

    女性アスリートの撮影被害や画像拡散などの問題に焦点があてられるようになった。 陸上競技も、問題視される競技のひとつだ。 主に短距離やハードル、走幅跳や走高跳などの女性アスリートが着用している、上下が分離したタイプのユニフォーム、いわゆる「セパレート型」のユニフォーム姿が撮影の標的とされてきた。 全国大会で活躍するレベルにある選手は、今ではたいがいセパレート型を着用している。学生でも多くの選手がこのタイプのユニフォームを選ぶ。スタンダードと言っていいだろう。 肌が出ている割合が多いがゆえに、撮影の被害を受けてきた。でもセパレート型を着用するのには、競技上の根拠がある。 もともとはセパレートのユニフォームはなかった セパレート型のユニフォームはもともとあったものではない。昔はランニングシャツにランニングパンツが主流であった。 最初にセパレートタイプを着用した選手が具体的に誰かははっきりしないが

    女子陸上選手はなぜ“セパレート型”ユニフォームを着る? 努力を踏みにじる「性的画像撮影」の卑劣さ(松原孝臣)
  • 羽生善治との黄金カード再び! “ゲームの天才”森内俊之50歳、ついにAI導入で「明らかに将棋の理解度が…」(片山良三)

    森内俊之対羽生善治という黄金カードが間近に迫っている。 1月28日の棋聖戦2次予選3組決勝が、引退後に十八世名人と十九世名人を襲名する2人の激突となったのだ。棋聖戦の挑戦権を争う16人による決勝トーナメント入りをかける大一番。その先には藤井聡太二冠がタイトルホルダーとして待ち構えている。 2人の対戦は'18年5月22日の銀河戦以来途絶えてしまっていた。 直近の対戦成績(といっても'14年から'18年に渡るものだが)は羽生の12勝1敗と傾いたものになっているが、名人位をかけて戦った通算9セットの戦績は森内の5勝4敗。最高の栄誉をかけた七番勝負で、七冠独占をも成し遂げた羽生に勝ち越した棋士が存在したことに改めて驚いてほしい。ちなみに通算の対戦成績は、羽生78勝、森内58勝。直近の極端な数字を差し引きすれば、実力拮抗が伝わるだろう。

    羽生善治との黄金カード再び! “ゲームの天才”森内俊之50歳、ついにAI導入で「明らかに将棋の理解度が…」(片山良三)
  • 原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】(中溝康隆)

    「桑田が1年目の時、軽い冗談で野手に転向したら、って人に言ったんです。バッティングとフィールディングがあまりに素晴らしいんで。そしたらアイツ、マジでむっとした顔をし、『いや、ボクは絶対ピッチャー1でやります』って」 これは30年以上前、原辰徳が『週刊現代』誌上で堀内恒夫と対談した際の発言である。当時29歳のタツノリは「桑田は若いけど放っておいてもやる人間。自分の世界をもう持ってますね。ボクの19歳のころを考えたらすごいと思いますよ」と巨人の新エースを称賛している。そう、沢村賞を獲得した背番号18は、あの頃まだ19歳だった。プロ2年目、前年わずか2勝からの華麗なる逆襲。「1987年の桑田真澄」は誰よりも輝いていた。 球界一のダーティヒーローだった 若い野球ファンには信じられないかもしれないが、当時の桑田は球界一のダーティーヒーローだった。80年代中盤、日中を沸かせたPL学園の“KKコン

    原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】(中溝康隆)
  • 張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)

    野球 プロ野球 張勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】

    張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)
  • 「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】(中村太地)

    NumberWebでは将棋の“競技的”な側面を中心に、王座獲得経験のある中村太地七段に将棋の奥深さについて定期的に語ってもらっている。今回は米長邦雄永世棋聖の命日にちなんで「将棋の師弟関係」について語ってもらった(全2回の後編/前編はこちら) 私の師匠は将棋ファンだけでなく、世間でもよく知られている棋士の1人かと思いますが……「うちの兄貴たちはバカだから東大に行った。私は天才だから棋士になった」との発言があったとの逸話が、あまりにも有名ですよね(笑)。ただこれもまた、師匠が深いところで考えていた一つの象徴なのかなと思っています。 このことについては後ほど説明しますが、私が実際に感じた「米長邦雄永世棋聖」という人間性について、お話しできればと思います。 まずは師匠である米長永世棋聖と出会うきっかけから。 私が奨励会入りを決断したのが小学校6年生の春でしたが、両親が師匠のをよく読んでいたんで

    「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】(中村太地)
  • 千賀、甲斐……250万円級の育成選手が“ドラ1”級に ホークスの「スカウティングの極意」とは(安倍昌彦)

    10月26日に開催予定のプロ野球ドラフト会議。コロナの影響でセンバツも夏の甲子園もなかった今年は「甲子園ヒーロー」がいない。それだけに、どの球団が「どんな選手を獲得するのか」により一層注目が集まるかもしれない。そこで、誌でこれまで紹介してきた「プロ野球ドラフト会議」に関する記事を特別に公開する。 アマチュア時代は無名だった選手がホークスに入ると急成長してレギュラーをつかむ。この現象の源流には、磨けば光る原石を確実に見極めるスカウティングの極意があった――。 【初出:Sports Graphic Number 989号(2019年10月31日発売)「ホークス日一の組織学。『ドラフト大化けの秘密。』」/肩書などはすべて当時】 今季のプロ野球は、福岡ソフトバンクホークスが4連勝という怒濤の進撃で、セ・リーグ王者の読売ジャイアンツを退けて日一の座についた。 その磐石なソフトバンクのベンチ入り

    千賀、甲斐……250万円級の育成選手が“ドラ1”級に ホークスの「スカウティングの極意」とは(安倍昌彦)
  • 自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)

    近年の甲子園は、膨大な練習と膨大な事を吸収できた"ガタイ”がいい選手が多い。しかし、もっと無理なく成長することができるとしたら……。 新型コロナウイルスはなかなか収束を見せないが、スポーツ界は徐々に活動が再開され始めた。プロ野球・Jリーグの2大プロスポーツが先駆けとなり、アマチュアスポーツも少しずつ活気を取り戻しつつある。 野球界も「withコロナ」の生活様式を進めている。プロ野球の取材をしていても、変化を如実に感じる場面がある。 プロ野球のパ・リーグを2連覇している西武は、ホームでの同一カード6連戦の最後の日、試合前のシートノックを行わなかった。またパ・リーグの首位・楽天は、中軸を担う3選手、浅村栄斗、ブラッシュ、ロメロの負担を休養日やDH起用で軽減しながら、チームをうまく循環させている。 そして彼らは、試合でハイパフォーマンスを発揮している。チームが好調なのもうなずける。 この流れは

    自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)
    geopolitics
    geopolitics 2020/07/27
    イチローが筋トレで夏まで体が動かなかったみたいなことを言っていた。試合期間は練習が出来ないから筋肉量が減る。
  • ただの将棋の強いおじさんではない。AI時代にすり寄られた木村一基王位。(片山良三)

    「千駄ヶ谷の受け師」、「将棋の強いおじさん」で有名だった木村一基王位。46歳の初タイトルは彼の真価を世に知らしめた。 加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太と続く、史上5人しか出現していない中学生棋士の輝かしい足跡が示すように、「早熟」が何よりのアドバンテージとして幅を利かすのが将棋の世界だ。 そんな中にあって、46歳3カ月という年齢で念願の初タイトルに届いた木村一基新王位の奮闘は、まさに大快挙と呼ぶに相応しい。 それ以前の年長記録は、当時37歳6カ月だった'73年の有吉道夫九段の棋聖獲得。今回の王位戦で大幅に書き換えられた史上最年長記録は、振り返ればそれから46年ぶりで、今度こそ不滅の大記録なのかもしれない。 棋界の常識を外れた偉業の数々。 さらに付け加えれば、7度目のタイトル戦挑戦での初奪取も史上最も多くはね返されたニューレコード。四段昇段後22年5カ月、初挑戦('05年竜王

    ただの将棋の強いおじさんではない。AI時代にすり寄られた木村一基王位。(片山良三)
  • 【追悼 野村克也】<ノムラの監督論>野村克也「世渡り上手の時代やな」(Number編集部)

    球界の偉人が、またひとり去っていきました……野村克也氏、享年84。 南海ホークス時代の1965年に戦後初の三冠王に輝くなど、球史に残る大打者、そして名捕手として活躍し、現役引退後は、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス、そして社会人野球のシダックスで、監督としてその辣腕を振るいました。この偉大なる野球人の逝去を悼み、Number Webでは2015年の独占インタビュー記事を特別に再配信いたします。 俺がよく言っている「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という言葉があるけど、そのリーダーが今の時代は監督じゃなくてオーナーになっている。ソフトバンクが強豪になったのだって、MVPは監督の工藤じゃなくて孫正義オーナーだよ。金は出すけど口は出さないだなんて、監督としてこんなにやりやすい環境はない。 楽天を退任するときにオーナーに言ったんだけど、今はお金で勝利を買う

    【追悼 野村克也】<ノムラの監督論>野村克也「世渡り上手の時代やな」(Number編集部)
  • ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)

    その年のM-1が終わると「あの人はどう思ったのだろう」と感想が聞きたくなる人がいる。石田明さんはその代表的な1人だ。 漫才に点数がついて、優劣が決まる。 「漫才で点数を競う」この競技は、2001年に『M-1グランプリ』が始まる前は今ほどメジャーではなかった。 もちろん『M-1』以前から賞レース自体は存在したが、賞を獲ったから売れるというよりは、劇場でウケている芸人に送られる賞という意味合いが強かった。 『M-1』の登場は日の漫才シーンを、漫才のあり方を、芸人の考え方を大きく変えた。 競技化することで漫才はどう変わったか、そして変わらないものは何か。 2008年のM-1王者であり、そして芸能界屈指のお笑いオタクでもある『NON STYLE』石田明さんに話を聞いた。 ――漫才という芸能は来、笑わせさえすればいいものです。なのに、M-1という賞レースになると「キャラ漫才や物まねは評価されにく

    ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)
  • 土井正博 「教えられなかった死球の避け方」(永谷脩)

    18歳の若者は、ドラフト会議でひどく傷ついていた。その若者を根気強く見守り、そして逞しく育てあげたひとりの野球人がいた。 清原の心を救い、打の真髄へ導いた恩師・土井正博の記憶を辿った。 プロとなって最初に出会い、自分を見守ってくれたコーチの存在は、どんな大選手になったのちでも決して忘れない。涙のドラフトから一転、西武に入団した清原和博の場合、その存在が土井正博だった。土井は、清原の入団と同時に当時の編成部長だった根陸夫によって一軍打撃コーチを命じられていた。 「清原に初めて会った時、こりゃ講道館の黒帯(物の意)だわと。ものが違うと思いました。私も一軍コーチは初めてだし、どうしたものかと思って、根さんに相談したらば『向こうから何か相談に来るまで、じっと見ていなさい』と言われて。我慢比べでしたね」 清原の最初のオープン戦成績は2割2分。塁打無しで終わっている。そこで開幕直前会議で、清原

    土井正博 「教えられなかった死球の避け方」(永谷脩)
  • 斎藤佑樹が語った佐々木朗希。「大事なのは球数よりも登板間隔」(田中大貴)

    「佐々木くんの腕の振り、素晴らしいですよね」 北海道ハムファイターズの斎藤佑樹がかつて、大船渡高校の佐々木朗希の映像を見ながら、こう話していました。 「特に肘の使い方と、手首の位置。“怪我をしないような位置”から投げられていると思います。自分で意識しているのか、それとも誰かに教えてもらっているのか……。高校時代にこれができれば、怪我のリスクはかなり低くなると思いますよ。あとは、スライダー系やシュート系のボールを極力、減らせるといいですね」 13年前の、2006年の夏。「ハンカチ王子」として一世を風靡することになる18歳の斎藤は、右腕に不安を抱えた状態で甲子園入りしていました。肘と手首にひねりを加えるスライダー系のボールを多投したことで、炎症を起こしていたのです。 “縦振り”で投げられる球種だけなら……。 「あの夏は、西東京大会が終わってから甲子園までの期間が短く、身体を回復する時間があ

    斎藤佑樹が語った佐々木朗希。「大事なのは球数よりも登板間隔」(田中大貴)
  • 相撲は本当に体重が重い方が有利?番付が上がるほど小さくなる影響度。(西尾克洋)

    白鵬と比べても、かなり小さく見える炎鵬は99キロ。巨漢と戦う方法論を持ち合わせた小兵はいつの時代も人気だ。 国技館で最も歓声が上がるシチュエーションの1つとして、巨漢力士と小兵力士の対戦がある。 立合いから小兵力士のスピードが上回り巨漢力士がどう立ち向かうかという展開になりがちなので、主導権は小兵力士が握ることになる。小兵力士が勝っても負けても持ち味を発揮し、巨漢力士を翻弄するのは大相撲ならではの光景だ。 幕内で結果を残す小兵力士の人気が出るのは自然なことで、場内での「敢闘力士アンケート」は彼らが勝利すれば上位にランクインしやすい。対戦前に会場の雰囲気が逆風になる分、巨漢力士は気の毒ではあるのだが……。 さて最近の大相撲では、以前と比べて軽量の力士が幕内で活躍することが多い。白鵬の内弟子の炎鵬や伊勢ケ濱部屋の新星・照強、今場所は十両だが語学留学中にハリウッド映画のスカウトを受けたこともある

    相撲は本当に体重が重い方が有利?番付が上がるほど小さくなる影響度。(西尾克洋)
  • 伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)

    「違和感」の種が胸にできたのは、思い返せば、初めて世界に飛び出した頃だという。 “新時代のテニスコート”の触れ込みで砂入り人工芝が登場したのは、伊達公子が、高校生の頃だった。 身近なところで一気に普及したのは、1985年の神戸ユニバーシアード。イベント会場の神戸総合運動公園のテニスコートが砂入り人工芝になり、以降はジュニアや高校の大会も、砂入り人工芝で開催される機会が増えた。 「悪天候にも強い」がそのコートの売りではあったが、伊達が思い出すのは、「水たまりがある中でプレーした」という記憶。また、足元が滑りやすく、球速もバウンド後に落ちるという「ネガティブなイメージ」だった。 “新世代のコート”への違和感。 もちろん当時のそれは、あくまで一個人が抱く印象にすぎない。だが高校卒業と同時にプロとなり、ヨーロッパやアメリカでプレーする機会が増えていく中で、“新時代のコート”が実は、国外には全くと言

    伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)
    geopolitics
    geopolitics 2019/06/25
    練習と本番のコートが違うのか。
  • イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)

    記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。 《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日) それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。 「僕に鍛えられたんだから……」 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、 《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》 《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ

    イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)
    geopolitics
    geopolitics 2019/03/26
    いつものマスコミという感じだった。
  • 仏誌でハリルホジッチが独占告白。ナント復活の手応えと日本の思い出。 - 海外サッカー - Number Web - ナンバー

    10月頭にリーグ・アンの名門FCナントの監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチは、大胆なチーム改革を実行し、19位だったリーグ戦での順位を一気に10位にまで引き上げてみせた。50日の間にいったい彼は何をおこなったのか――。 『フランス・フットボール』誌(11月20日号)において、その模様がインタビュー形式で掲載されたので、ここに抄録として転載する。 監修:田村修一 ――ナントに着任したときの最優先事項は何でしたか? 「状況の分析をできるだけ早くすることと、選手を理解すること、そして人々と話しあうことだった。正式契約の前に最初の練習を行った。好奇心と不安が入り混じった選手たちの視線をよく覚えている。私の様々な噂を聴いていたのだろう」 ――具体的に何を言いましたか? 「私は現役時代、このクラブで5年間プレーし大きな成功を収めたが、クラブに対して精神的に負い目を感じている。今日の状況はとても容

    仏誌でハリルホジッチが独占告白。ナント復活の手応えと日本の思い出。 - 海外サッカー - Number Web - ナンバー