タグ

2008年8月28日のブックマーク (7件)

  • ニコチューブチェッカー|動画を簡単チェック・すばやく削除申請

    動画を簡単チェック・すばやく削除申請|「ニコチューブチェッカー」は、「ニコニコ動画」および「YouTube」にアップロードされている違法な動画のチェックと削除申請を行うサービスです。「ニコチューブチェッカー」は、「ニコニコ動画」およびYouTube」にアップロードされている違法な動画のチェックと削除申請を行うサービスです。

    georgew
    georgew 2008/08/28
    パロディかと思ったんだがマジモンなのか。
  • その元気、その病気、じつは天気が決めていた! 気候と体の深い関係:日経ビジネスオンライン

    予想に違わない猛暑に熱帯地方のスコールを思わせる突然の大雨と、異常気象も当然の光景になってしまった観のある今年の夏だ。 突然降り出す雨に向けて10分単位の予報や地図から絞り込んだ気象情報など、新しい情報技術を活かした天気予報を目にするようになった。多くの場合、天気予報を外出にあたって傘を持つかどうかや服を選ぶ参照程度に考えていないだろうか。 しかし、天気は身近でありながら意外なほど奥が深い。その最たる例の1つが、天気と病気との関係だ。天気の変化は、実は身体の機能に大きな影響を与えている。今回お話をうかがった福岡義隆さんは、気象と人との関係を研究する「生気象学」を研究している。気象の変化というストレスがいったい人体にどういう影響を及ぼしているのだろうか。 --現代では、病気を個人の肉体の中で起きた出来事として考えるのが一般的で、気温や湿度の変化と結びつける視点はあまりないようです。先生が研究

    その元気、その病気、じつは天気が決めていた! 気候と体の深い関係:日経ビジネスオンライン
    georgew
    georgew 2008/08/28
    トンデモの匂い...
  • 希薄な目的意識と、時間単価の“共犯関係”:日経ビジネスオンライン

    システムエンジニアの時間給は5年で約2%減 給与や賞与の合計額を労働時間数で割った時間給。厚生労働省の「賃金構造基統計調査」を基に、2002年を100としてシステムエンジニアの時間給を算出すると2007年は98.1にまで下がっている。プログラマーの時間給も同様で、2007年は97.7となる。IT(情報技術)による生産性向上が付加価値を生んで労働対価を押し上げる――。そうはなっていない現状が浮かび上がる。 打合せが長引きがちで、タクシーを利用することが少なくない。渋滞して料金メーターが回るたびに心の中で小さなため息をつくのも事実だが、最近はそうひどい渋滞に巻き込まれることもあまりなく、一応納得できる。 昔から肩こりがひどく、時折マッサージを受けている。都内だと10分につき1000円前後。1時間も受けるとちょっとした贅沢となってしまうが、終わった後は肩が軽くなり、満足度は高い。 タクシーやマ

    希薄な目的意識と、時間単価の“共犯関係”:日経ビジネスオンライン
    georgew
    georgew 2008/08/28
    ITを使いこなす側であるユーザーがしっかりしなければ、何も変わらない > 同意。丸投げは結局責任回避のための悪知恵なんだろうけど。
  • 「mF247」優先交渉権、落札者は「ウマウマ」CDのクエイクだった 1000万2000円でひろゆき氏をかわす

    「mF247」優先交渉権、落札者は「ウマウマ」CDのクエイクだった 1000万2000円でひろゆき氏をかわす インディーズ楽曲配信サイト「mF247」事業の譲渡について、運営元のに・よん・なな・ミュージックと優先的に交渉できる権利が8月27日、「Yahoo!オークション」で1000万2000円で落札された。落札者は、「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」のCDを販売している、あのクエイク(7月にクエイクホールディングスから社名変更)だ。加藤和宏社長は手が震えるほどドキドキしたという。 に・よん・なな・ミュージックは、8月末に休止する予定のmF247を、同社に代わって運営してくれる人をヤフオクで募っていた。出品したのは同社と交渉できる権利で、交渉がまとまれば、mF247のドメインやサイトのプログラム、運営マニュアルなどを落札者に譲渡する――という試みだ。 オークションは25日午後0時にスタート。

    「mF247」優先交渉権、落札者は「ウマウマ」CDのクエイクだった 1000万2000円でひろゆき氏をかわす
  • 酒の切れ目は技術の切れ目 - レジデント初期研修用資料

    8年ぐらい昔。技術継承のために飲み屋さんを利用している地域があった。 誰か有名な先生を他の地方から招聘して、「つぼ八」みたいな飲み屋さんを借り切って、 ただひたすらに飲む会。 有名な医師の講演会とか、偉い人のありがたいお話とか、そういうのは抜きにして、 最初はとにかく飲む。県内の各病院の、上の人達が集まって、ただ飲む。 みんなにお酒が行き渡った頃、宴会場にスクリーンが持ち込まれる。 まだ飲んでない若手が入場して、各病院の症例、うまく行かなかった症例だとか、 苦労した症例のスライドを持ち込んで、 酔っぱらった偉い先生がたを前にして、自分の経験を語る。 会場からは、酔っぱらいの容赦のない突っ込みが入る。 「どうしてこういうやりかた試さなかったの?」だとか、 「こんなケースはこうすればいいんだ」とか。忌憚のない、でもみんな酔ってるから「厳密な検証」なんかとは 少し外れた、ベテランの知恵みたいな言

    georgew
    georgew 2008/08/28
    技術が始まる。「無礼講」の中で、お互いの経験だとか、アイデアが交換されて、それが実地で検証されて、技術が確立して、広まっていく。 > はっとさせられたね。
  • タモリさん

    黒板やスケッチブックにそれっぽくらくがきできるお絵描きサービス

    タモリさん
    georgew
    georgew 2008/08/28
    正に芸術品。
  • コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    「コッポラの胡蝶の夢」のパンフに、コーマン門下生時代のフランシス・コッポラについて書きました。 1960年代初め、ハリウッドのメジャー・スタジオは閉じられていた。 監督やカメラマンなどスタッフの平均年齢はほとんど60歳を越えていたにもかかわらず、大卒の募集は行われず、わずかに縁故採用があるだけだった。 いっぽう、全米各地の大学にはようやく映画学科が設立されていった。大衆の娯楽だと思われていた映画は、フランスで芸術として評価されるようになり、その影響がようやくアメリカに及んだのだ。コッポラもUCLAの映画学科で学んでいたが、何のコネもない彼にとってハリウッドに入るのは不可能に近かった。 まず自主制作で映画を撮ってポートフォリオにしようにも、当時まだ8ミリ映画の機材はまともな映画を作れるレベルには達していなかったし、学生の自主映画を評価してくれる映画祭なども確立されていなかった。そんな状況で、

    コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
    georgew
    georgew 2008/08/28
    だいたい映画評論家なんて自称ですからね。取材もせずに感想ばら撒いてるだけ(除町山さん)。