放射能雲が通ったせいで、放射性降下物が降り注ぎ、村民6000人が全村避難することになった飯舘村も、南部3分の1が汚染地帯になった南相馬市も、福島第一原発事故以前は、避難訓練はおろか避難の計画すらなかった。そんな話を前回書いた。 そうした避難計画や訓練を施す「原子力災害対策特別措置法」上の「EPZ」(Emergency Planning Zone)が「原発から半径8~10キロ以内」しか想定していなかったからだ。飯舘村や南相馬市は原発から10キロ以上遠かったから、その「万一の場合に備えておく区域」に入らなかったのだ。 では、その「EPZ」の内側はどうだったのだろうか。どんな避難計画や準備、訓練が行われていたのか。 そこで話は今回の舞台、福島県双葉郡富岡町に移る。富岡町は、福島第一だけではなく、福島第二原子力発電所を中心とするEPZの中にも入る。2つのEPZが町内で重なっているのだ。つまり「原発
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