三陸鉄道は学生や高齢者など「交通弱者」にとって大事な移動手段となっている=岩手県の久慈駅で2011年6月10日、米田堅持撮影 ◇橋の下で整備点検 「さんてつ」(三陸鉄道)は3月20日、宮古-田老間(12.7キロ)で運転を再開し、震災の対策本部として使っていた車両に乗客を乗せて走り始めた。29日には田老-小本間(12.4キロ)も復旧、宮古-小本間(25.1キロ)がつながった。使える車両は1両だけだった。朝夕には約140人がこの1両にすし詰めとなり、混雑緩和と故障時の対応が課題となっていた。 5月28日、岩手県が費用を負担して久慈から宮古へ向けて2両を陸送して事態を打開した。陸中野田-小本間(34.8キロ)が津波で寸断されたため、久慈にある指令所から信号を制御できず、宮古-小本間は現在も手旗信号による運行が続いている。震災当時、6000リットルほどの燃料が久慈の車両基地にあった。通常なら4日分