教信寺(きょうしんじ)は、沙弥教信の遺跡寺院である。山号は念仏山である。播州薬師霊場の8番札所である。伽藍境内地は加古川市郡指定で、わがまち加古川70選に選ばれている。 教信寺は称名念仏の創始者である教信によって開基された。教信は、興福寺の僧であったが、奈良の貴族仏教に満足できず、各地を放浪し、現在の加古川市野口町にあった賀古駅家(かこのうまや)の北辺に庵を建て、ここを永住の地とした。阿弥陀仏の称名に明け暮れると共に、西国街道の旅人の荷物運び、農耕の手伝い、駅ヶ池の造成など行った。教信の入寂後、遺言により亡骸は野に置かれた。体は鳥獣に食われていたが、首から上は無傷の状態であった。その説話を今に伝えるよう教信の頭像である沙弥教信上人頭像が作成され、開山堂の本尊とされている[1]。 室町時代には堂宇13僧坊48を数える大伽藍(寺伝)になっていたが、戦国時代、毛利勢と羽柴秀吉勢との激戦の地となっ