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ブックマーク / www13.big.or.jp/~sparrow (2)

  • お座敷小唄 「雪に変りはないじゃなし」

    倶楽部の「お座敷小唄」の解説中に「<雪に変りはないじゃなし>は意味不明」と書きました。「どこが意味不明だ?」とおっしゃる方もいますので、見解を述べてみたいと思います。 このお座敷小唄のリリースされた昭和39年は、東京オリンピックが開催された年で、まだ、芸者遊びが華やかだった頃のことです。お座敷ゲームの<野球拳>や<金毘羅船々>のように、このお座敷小唄も何処かで誰かが座興酔狂に歌い始めたものが、修正・添削されながら段々と増えて行き、お座敷の定番小唄となったとなったと思われます。この歌が世に出た経緯は何処にも語られていません。作詞者不詳、作曲者陸奥明(「月がとっても青いから」などの作曲者)となっているだけで、不可思議な歌です。そのためか、作詞に責任を持つ人がおらず、「雪に変りはないじゃなし」という変な詞がそのまま残ってしまったのでしょう。歌詞の中に「先斗町」が出てきますので、京都の祇園か花柳

    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2022/10/29
    ( 名曲ですが「雪に変わりがあるじゃなし」ですよね。文脈からすると )
  • 「上海帰りのリル」と上海租界

    昭和12年の七夕の夜、一発の銃声が北京の西南、盧溝橋の静寂を破って鳴り響いた。盧溝橋事件の勃発である。これを契機として、北京議定書(注:1)による駐留日軍と中国国民党軍は一挙に日中戦争(注:2)に突入して行った。しかし、上海バンドにあった共同租界、フランス租界、日租界(自称)は日の上海上陸軍に囲まれて、かえって安全地帯として周囲のアヤシゲな地帯と共に残った。この上海租界と呼ばれる治外法権の地区が崩壊したのは、昭和16年、太平洋戦争の勃発と共に上海市内に突入した日軍によるものだった。昭和18年、南京国民党政権である汪兆銘政権(注:3)に接収され日租界は終戦まで続いた。 租借地と租界の相違は、前者が広い土地を長い年月の契約で租借して一種の植民地の様相を呈するのに対し、後者は比較的狭い地域を期限無く租借して当事国との外交関係などを続ける拠点としたものをそう呼ぶ。租借地の代表は香港の新開

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