董卓(不燃ごみ) @inumash コミケでそれなりの数のサークルが扱ってるのに、オタクカルチャーに入れてもらえないワンピやナルト可哀想・・・→http://t.co/ujtCpDEUYt RT @koshian: ワンピとかナルトはリア充が読む漫画であってオタクカルチャーじゃないんだよなー……。
『おたくの研究』は結局すったもんだの末に1984年1月号で連載が終了してしまいます。しかしながらこの言葉はその後もその影響力を増大し続けていたようで、大塚氏は再度、「おたく」についての立場表明を行うことになります。 前回(1983年9月)より9ヶ月の間をおいた今回の文章では、「おたく」という語に対して強い反感を持っていることが明言されています。 ここでの着目点は、大塚氏が改めて「おたく差別」批判をせざるを得ないほど、差別用語としての「おたく」という単語が(中森氏の最初のコラムからわずか1年で)根付き始めていたということと、「おたく」差別批判と多少位相をずらしながら述べられている「おたく内部での階級化」が既に発生しているという事実です。 「新宿マイナークラブ」1983年9月号に戻る ■最近、マンガ家・編集者のおた く攻撃が泥沼化してきました。最 初は健全な批判だったのが、今で はマンガのネタ
男に生まれついた者は、みな戦うことを求められる。実際には戦う資質を持った男性ばかりではないのだが、ともかく社会というのはそういう「男らしさ」を否応なしに押し付けてくる。女性も同様、「女らしさ」を社会から要請され続ける。 こういう「男らしさ」「女らしさ」の規範となるものをジェンダーと呼ぶ。肉体的な性別に対して、社会的な性別、というわけだ。 ジェンダー的に「男なんかでありたくない」という規範外れの資質を持った人間が「悔しいけど、僕は男なんだな」とつぶやくから、ガンダムのアムロのあのセリフは重たい。アムロはガンダムに乗り、戦いにその身を投じるが、本来そんな人間ではない。家にこもり、機械と戯れるのが好きな、内気で優しい少年だったはずだ。そんな彼が自分は「男」であると意識させた瞬間が、あのセリフとなっている。幼馴染のフラウ・ボゥが自ら戦いに出ようとするとき、女である彼女に戦わせるわけにはいかないとい
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