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literatureに関するginyuuのブックマーク (6)

  • ホメーロス - Wikipedia

    ホメーロス(古代ギリシャ語: Ὅμηρος、Hómēros、羅: Homerus、英: Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロス、あるいは現代語式の発音でオミロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する[1]。現在のギリシアではオミロスと発音されている。古代人はホメーロスを「詩人」(ὁ Ποιητής、ho Poiêtếs)というシンプルな異名で呼んでいた。 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝

    ホメーロス - Wikipedia
    ginyuu
    ginyuu 2012/12/28
    ちょっとホメーロス。
  • マンダラに挟まれていた「雨ニモマケズ」

    日付けの日経新聞に「題目に託した祈りの詩篇」と題した記事があった。山折哲雄の一文だ。宮沢賢治は37歳で没した(1933年)。死後、常に携行していた大きなトランクの中から黒い手帳が見つかり、そこに書かれていたのが「雨ニモマケズ」であった。胸を病み、命のともしびが揺らぐ日々にあって、詩が生まれ得る事実に感動を覚える。詩の末尾にマンダラが描かれていることは以前紹介した。 ・雨ニモマケズ~宮沢賢治~ 青空文庫のテキストにはそこまで収められている。ところが山折によれば、手帳の3枚目にもマンダラがあるとのこと。更に20枚ほどめくったところに「雨ニモマケズ」と記されているそうだ。 なぜなら「手帳」を虚心に読んでいくと、その詩句全体が「南無妙法蓮華経」によって前後を護(まも)られているような形で書かれていることに気づいたからである。そこからは賢治の祈りの声がきこえてくるからだ。 山折は詩の前後で題目を唱

    マンダラに挟まれていた「雨ニモマケズ」
    ginyuu
    ginyuu 2012/10/14
    宮澤賢治。
  • 時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ

    今年はショパン生誕200周年というわけで、年明けからあちこちで色んなことに関わっていますが、『葬送』というと、今でも思い出すことがあります。 まだ文庫が出る前でしたから、多分7年前くらいのことです。 とある女性から手紙をもらったのですが、その中にこんなことが書かれていました。 自分の夫はガンで、余命数ヶ月と宣告されている。その夫が、『葬送』が大好きで、残された時間をもう一度、『葬送』を読むことに費やしたいというので、大学生の娘と、毎日交代で、病室で朗読してあげている、と。 作家として、こんなに光栄なことはなく、勿論、うれしかったのですが、どんなに愛着のある自信作であったとしても、自分の書いたものにそれほどの価値があるのだろうかと、正直、深く考え込みました。ご人の意志とは言え、もっと他のことに時間を使ってもらった方が良いのではないか、と。 今でこそ、ツイッターで読者とも気軽にやりとりをし

    時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ
  • 『通訳ダニエル・シュタイン』リュドミラ・ウリツカヤ(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 →紀伊國屋書店で購入 「瞠目させられる構成力、驚愕の書」 2009年に読んだでもっとも驚いたといえば、この『通訳ダニエル・シュタイン』である。さまざまなことに驚愕したが、まずは作品の形式だ。 最初の章はエヴァ・マヌキャンという女性の独り語りである。つぎの章では1章に出てきたエステル・ハントマンという女性に語り手がバトンタッチされる。それぞれに日付と場所が書かれていて、エヴァは「1985年12月 ボストン」、エステルは「1986年1月 ボストン」。 ふたりが交互に語っていくのだろうと思って読み進んでいくと、3章ではイサーク・ハントマンという男性に語り手が替わり、時間も過去にさかのぼって「1959年〜83年」になる。名字がエステルと同じなので血縁とわかるが、説明的なことは書かれてない。 4章ではさらに時空が飛ぶ。「1946年1月 ヴロツワフ」となり、 エフライム・ツヴ

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  • 芥川龍之介の青春 : 畑に家を建てるまで

    中学時代に一番心惹かれていた作家は芥川龍之介だったが、その割に彼の作品を読んでいなかった。というのは、家にある彼のは戦前の改造社版「現代日文学全集」中の芥川龍之介集一冊だけだったし、学校の図書室にある青い布表紙の芥川龍之介全集も、その大半が紛失していて、書架にはほんの僅かしか残っていなかったからだ。 その代わり、利用可能な芥川のは全部読んだ。当に、隅々まで読んだのである。図書室に残っていた芥川全集の書簡集も、その全部を読み通した。 書簡集を読み進んでいくうちに、身体の不調を友人に訴える手紙が増え、そのなかに「屁をしたら、糞が出た」という一節があった。痛ましいと思った。彼が自殺を選んだのには、極点に達した体調不良という理由もあるに違いないと思った。 あんなに芥川を愛していたのに、旧制中学校を卒業するともう彼のは、全く読まなくなった。戦後になって、筑摩書房版「芥川龍之介全集」を購入し

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