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2008年8月16日のブックマーク (2件)

  • 憂鬱だ

    殆ど寝むれなかった。会社でも昼飯がえない。調子が悪い、途中ゲロを吐いた。 心配してくれる後輩。何故か嫌味を言う自分。すまない、今度おごってやろう。 17時。 今日は残業できない。足早に駅前へと急ぐ。大変だ、時間が無い。 タクシー乗り場で彼女と合流。あまりの混み用に列を無視して運転手に2人で懇願。 他に待っている人もいるのに。最低だ。でも遅れる訳にはいかない。 18時45分。 何とか間に合った。汗をハンカチで拭きネクタイを締め直す。 吐きそう。緊張が頂点。密かにポケットに入れてきたウイスキーを少し飲む。 でも駄目だ。全く酔わない。 店内に入った。 何ておしゃれなお店だ。正直言って苦手。 普段チェーン店か屋台くらいにしか行かないからだろう。自分にはキツイ。 あれこれ考えている内に店員がやってきた。 そして案内されて店の奥へと向う。 ヤバイ。足が震えてる。軽く眩暈がして来た。 帰りたい。逃げ出

    憂鬱だ
  • 宮崎駿の本当の限界

    「宮崎駿」「限界」でググって出てくるようなことを書くつもりはない。 僕は宮崎駿に限界が来て欲しくない派だからだ。 しかし来るような気がする。 何も「崖の上のポニョ」がつまらなかった、とかではない。むしろ大傑作だと思った。 しかし「ハウルの動く城」で僕が初めて感じた宮崎作品への不満が「ポニョ」でも解消されていなかった。 いや、解消どころか、堂々と居座っていた。 その不満とは、い足りなさである。もっと広がるんじゃなかったの?という。 例を出すならば、「ハウル」ならハウルが戦っている戦争の背景事情、ソフィーが悟るハウルとの因縁など。「ポニョ」ならば町が水没した後。いずれも作品の後半だ。 ちなみに「ポニョ」のそこからのくだりは、素晴らしいクライマックスだったとも言えてしまう。おそらく最後のカットが運命的に素晴らしかったからだ。しかし水没から最後まで、話が省かれ過ぎた感じは残った。 そのい足りな

    宮崎駿の本当の限界