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わかるとstudyに関するgitanezのブックマーク (6)

  • 本はむずかしいくらいがいいのかも: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近ひそかに思ってること。それはってむずかしく感じるくらいのほうが読む自分にとっては価値があるのかもっていうことです。 むずかしさを感じるのは、それだけ読む自分の側に知らないこと、考えが及ばないことがあるということだと思います。単純に言葉を知らないとか、登場してくる人や物事について知らないとか、書かれていることの背景について知らないとか、いろいろありますよね。あるいは、著者の頭のなかにあるもの、文章として表現されている内容が複雑すぎたり、高度すぎたりして、いまの自分にはわからないというケースもあります。 わからないことに触れられること自体に価値があるでも、一度読んだだけではわからなくても、そのわからないことに触れられること自体に僕は価値があるんだと思うんですよね。何よりそ

  • 大事なことはわかることじゃない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今月はぜんぜんブログが書けてないですね。まぁ、この忙しさじゃ仕方ない面がありますけど。 そんな忙しさのなかでも最近思ったことをすこし。 自分の能力を高めるためには、を読んだり、誰かに聞いたりして、すぐにわかってしまうより、わからないことに自分でこだわってみることのほうが大切なことなんだなーと思います。 わからないことにこだわり、自分でいろいろ試して経験するなかですこしずつわかることが増えてくる。そういうわかり方を大切にしたいな、と。 わかった気にならないわかりやすい言葉を読んだり聞いたりして、わかった気になることって簡単です。でも、そういうのってあんまり役に立たない。役に立たないものをどんどんわかった気になって蓄積しても、それこそ役に立ちません。 それにわかった気になって

  • 本を読んだり、他人の話を聞いただけで、何をわかろうというのですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 を読んでわかるようになりたい。誰かに教えてもらってわかるようになりたい。そういう声はよく聞くし、ブログでもよく見かけますが、果たして、そういう方法・姿勢でわかるようになることなんてあるのだろうかと常々疑問を感じています。 わからないことは誰かに教えてもらう、という方法自体は間違っていないと思うのです。 でも、その「教えてもらう」手段として、を「読む」、誰かの話を「聞く」という具合に、言葉に完全に頼りきっているのはいかがなものか? 未経験者が相手なら、言葉だけではレシピくらいしか伝えられない言葉で教えられるのなんてレシピ程度だと思うのです。 とうぜん、レシピだけわかっても料理をうまく作ることはできません。うまく作るためには自分で何度か実際に料理をしてみて、あー、こうすれば

  • 行動せよ(特に観よ): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「わかる」にも大きく分けて2種類ある。そう考えるとこの話はすこし整理できるのではないでしょうか。 今の日て、授業を受けるとそのことが分かったことになるのでしょうか。いつの間にかそういう勘違いをしている人が多くなっている気がします。ひどいのになると、人のブログを読んだだけ、を読んだだけで講義とかセミナーを開いてしまう人もいる。私の周りにも結構います。 ここで浅野先生が言ってるのは、片方の「わかる」のみになってしまっていることかと思います。 その「わかる」はすでに他人が情報化した(残り滓としての)情報を言語的な知識として記憶(記録?)すること。単なる暗記とほとんど変わらない「わかる」。意味はわかっているのでしょうけど、体感がない。よって、わかったことを人は上手に使えないタ

  • 「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 考えない、行動しない、他人の心を想像しない。だから、わからないし、変わらない。 養老 つまり、その人の行動なり、考えなり、世界観なりがその段階で変わっていない。言ってみれば、小手先を変えればすむと思っているということです。 佐治 「わかる」ということが、「わ」と「か」を入れ替えて「かわる」ということになっていない、ということですね。 佐治さんが<知るというのは「わかる」の「わ」と「か」を入れ替えて「かわる」ことだと思っています。>といい、養老さんが<変わらないけど頭に入っているものを「ただの知識」というんです。>と受ける。ともに還暦を過ぎた解剖学者と理論生物学者による対談は、宇宙のこと、音楽のこと、生物のこと、意識・言葉のこと、教育のこと、学習のこと、そして、男と女のこと、

  • 「かわる」つもりがなきゃ「わかる」こともない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間は図書館じゃない。ましてや、ファイルサーバーでもない。 佐治 あなたは宇宙のことをよく理解していらっしゃるんでしょうけれど、僕から言わせていただくと、宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるかということを念頭において、地学の講義をしていますか? 単に勉強して知識を得るだけじゃだめだということです。かわらなきゃ、です。 これは高校で理科の教師をしている人向けの研修会で、佐治晴夫さんがある1人の先生に言ったことだそうです。 単に知識を得るのが勉強じゃない、知識を教えるのが教育じゃないということですね。 それ

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