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思考に関するgitanezのブックマーク (11)

  • 記憶や観察力と考える力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 普段はあまりテレビは見ないのですが、先日風邪をひいて熱をだした際に、ぼんやりとした頭で見ていたテレビ番組でやっていた「絵が描けない人」の特徴の話がとても興味深かったので、今日はその話題から「記憶や観察力と考える力」という話を展開していくことにします。 布団にはいって半分目をつむったような状態で見ていたので、番組がなんだったかも含めて詳しく覚えていないのですが、いま話題にしたいのはこんな2つの事柄です。 絵が下手で、描いた絵を人から笑われることが多い人は、そもそも絵がうまく描ける人に比べて、物事の観察力が弱く、物事に対してあいまいな記憶しかもっていないために、描こうとする対象を頭の中でさえ非常にあいまいにしか思い描けないため、当然ながら実際の絵としても表現できない絵が下手な人

  • 「人間中心」だからこそイノベーションにつながるアイデアは浮かんでくる - Think Social Blog

    Tweet なんとなく最近、自分自身のなかで"人間中心"に思考するということがこれまで以上にしっくりくるようになってきたのを感じています。 なぜ"しっくりくるようになってきた"ように感じるかというと、そうやって考えたほうがイノベーションにつながりそうなアイデアを発想しやすいことに気づいたからです。 "人間中心"、特に「ユーザーにとって解決すべき課題は何か?」という問いにこだわり、そのことを中心に思考を深め、展開していくことができれば、安易でありがちなソリューション発想に逃げずに済み、より根的にこれまでにないユーザーの体験価値を生み出すアイデアの創出に集中できるということが自分自身の実感としてわかってきたからです。わかってきたというより、そういう頭の使い方に慣れてきたといったほうがいいのかもしれません。 「人間の体験」を思考の中心におく とにかく、とにかく人間の体験に思考のフォーカスを当て

  • 際立つ者に: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 際立つ。際に立つ。 真ん中にぬくぬくといたのではわからないことが、中心を逸れて、際に立つことで見えてくる。 世の中の際。領域/分野の境界。意識と無意識の境目。 自と他の交わり、混ざり合う際で、異質なモノと出会うことから何かがはじまる。逆にいえば、そうした際にこそ、はじまりはある。入学式も成人式も来そうした際に立つ節目であるからこそ、そこから何かがはじまる可能性をもっていたはずだ。 中心からは何もはじまらない。 中心には予定調和だけがある。そこにいる限り、停滞が唯一の友達だ。 中心は多くの場合、自分である。 自然にしていたら、際からは常に離れていることになる。 だから、際立つためには、意図的に自分から離れないといけない。 無関心自分の関心のないこと、知らないことに、いかに目

  • 最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 松岡さんは、<タイミングを逃さない>ために必要な<3つの能力>として、 アンテナ力オリジナリティフィルタリング力 を挙げてらっしゃいます。 また<火がつく前に先を読む>力が必要とも。 僕は<火がつく前に先を読む>ためにも、<タイミングを逃さない>ためにも、結局、普段からどれだけ仮説をもっているのかが重要だということかと思っています。 自分の文脈がないと、目の前のヒントにもなかなか気づけないのではないか、と。世界はもともとヒントで満ち溢れている結局、人間って、わかることしかわからないんだと思うんですね。 金を探していなければ金脈は見つからないし、ダイアモンドを探していなければ目の前のダイアモンドにも気づかないんです。 あらかじめ仮説としての自分の視点がなくては、目の前に何か大

  • メモをとる癖: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 考えてみると、僕にはメモをとる癖があるようです。 打ち合わせのときなどはもちろん、電車でひとりでボーっとしてるときなんかも何か思いついたら携帯でメールを書いて自分宛に送ったりしています。 図にするあとは会社にいるときもコピー紙の裏紙なんかを手元にいつもおいてあって、それに考えたことをメモしてる。メモというか、図を描いたりしながら頭を整理しているのかな。 図にするとわかるとかいうがたくさん出てますけど、ようはそれですね。文字情報だけじゃなくて、丸とか四角とか矢印とか使うと、ただのテキストがオブジェクト化する。ちゃんと考える対象のように感じられてくる。 そうしたオブジェクト間の関係性を矢印なんかを使って明記すれば、世界観も明確になってきます。 ノートとかを使わず、裏紙に書いて

  • えーっ、考える時間がない?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「普段から効率よく答えを見つけられるようになる方法」のdel.icio.usのコメントにちょっとびっくりのコメントがありました。 「やっぱり考える時間がないというのが一番の問題。」 えーっ! ブログを書くことやいろんなを読むことなどの時間がないというのはまだなんとなく理解できますが、考える時間がないなんてことが当にあるのかな?って思いました。 仕事をしているとき誰か人と話をしているとき仕事や遊びでの電車や歩きでの移動時ひとりで部屋でのんびりしているときお風呂にはいってるときとき などなど。 考えるのに使える時間はいくらでもある。そればっかりは考えようとするのを拒否しているようにしか思えないんですよね。それは自分のためにならないですよね。 仕事してるときとかって考え

  • 想像力とは間違いを創造的に活用することに他ならない: DESIGN IT! w/LOVE

    茂木健一郎さんは『クオリア降臨』のなかで次のように書いています。 物質である脳から意識という主観的体験の個別が生まれるミステリを解明しようとしている現代科学は、徐々に、文学が従来扱ってきた領域に接近しようとしている。その、科学と文学の汽水域の中に、科学の未来も、そして恐らくは文学の未来もある。 と。 科学と文学『クオリア降臨』を読んだのはもう1年以上も前のことですが、ずっとこの文章が気になっていました。よくある理系だ文系だという議論が無意味に感じてしまうのは、この言葉に対する共感があるせいだと思っていました。数学者であるロジャー・ペンローズが意識や心、そして、量子重力論を語るのに、計算不可能性をもちこむことに惹かれるのきっと同じ理由なのだと思います。 そして、先日読んだ『生命記号論』にもこんな心を惹かれる言葉がありました。 失敗をしてしまう傾向は、この世界におけるすべての発展の根底に横たわ

  • 自分の当たり前をブログに書く: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、あえて自分では当たり前と思えることでもブログに書くようにしています。自分の当たり前は他人の当たり前ではないと思うからです。 自分の当たり前が他人の当たり前でなければ、自分の当たり前をエントリーとして記述しておくことで、他人の思考を刺激することもあるだろうという考えから、できるかぎり当たり前だと感じることでも、まさに日記のようにここに書くことにしています。 その結果が読んでくれている方の役に立ってるかどうかは僕には判然としませんが。 a Blog "TV Head"さんの「バトンはWeb2.0時代にふさわしいのか。」これとすこし関係しているのかなと思える内容が、a Blog "TV Head"さんの「バトンはWeb2.0時代にふさわしいのか。」にありました。中島聡さんの

  • dfltweb1.onamae.com – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年10月時点の調査。

  • 考えることのより根本的なレイヤー: DESIGN IT! w/LOVE

    ちょっと前のエントリーになるので恐縮ですが、Danさんの「「はじめに言葉ありき」は当か?」というエントリーがずっと気になっています。 しかし、「言葉で表現する」こと即「言葉で考える」ことを意味しているのだろうか? 「考える」をどう定義するかによるのだとも思いますが、僕も基的にはDanさんの「人って当に言葉で考えているの?」という感覚に同意します。 言葉は表現のツールただし、Danさんがご自身の考えを<多次元の「もやもや」>と表現するよりのに対して、僕自身の考えるスタイルは非常に言葉に依っていると感じています。しかし、非常に言葉に依るところが多い自身の考えるスタイルを考慮した上でなお「人って当は言葉だけで考えているわけではない」と思うんです。 言葉って表現のツールなんじゃないでしょうか。もちろん考える際にはその表現されたものを他の物理的対象やそれを感覚器官で感じ取った表象同様に素材と

  • 動物的ヒト、計算機的ヒト: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、進化論系のをわりと読んでるせいもあって、 あっ、ヒトって動物なんだって思う。 普段、意識とか言葉とかに隠れてるけど、 思った以上に直感的(たとえば、ヒトの顔を忘れない)だったりする。 暗いとこわがるとかもそうだし、意外と背景の力をもろに受けるとこもそう。 でも、この場合の直感って、たぶん、普通の意味の直感とは違う。 だって、普通の意味で直感っていう場合、言語能力が足りてなくて、単に自分の感じたことの理由を説明できないだけの不勉強にすぎないから。 たぶん、ここで言いたい直感ってもっと動物的で無意識的なんだと思う。 こんな3階層になってるんじゃないか? 下から、 1.動物的直感の層 2.普段の意識の層(非言語的意識も含む) 3.計算機の層(数学、計算によってはじめて認識

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