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文字に関するgitanezのブックマーク (12)

  • 2009-08-02:『字統』と『字訓』: DESIGN IT! w/LOVE

    そう。白川静さんの字書三部作のうちの『新訂 字統』と『新訂 字訓』を(ちなみにもう1冊は『字通』ですが、こちらは普及版がなく¥23,000もするので今回は断念)。 白川静さんのはこれまで書評を書いたものだけでも、 詩経―中国の古代歌謡/白川静初期万葉論/白川静漢字―生い立ちとその背景/白川静漢字百話/白川静呪の思想―神と人との間/白川静、梅原猛 などを読んできました。 読んでいて、ずっと『字統』と『字訓』に関してはほしいなと思い、Amazonのショッピングカートに半年近くはいっていたのですが、今回ようやく購入したわけです。

  • 声と文字(あるいは本というメディアについて): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「手書きであることを突き詰めれば、原稿用紙は不要だろう」 と鈴木一誌さんは『ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン』のなかでいう。 「原稿用紙は、活字組版のために、出版者と印刷所の文選工の字数の数えやすさと判読の助けとして開発された」とも続けています。 そして、また、 「手書きかワープロかとの問いは、原稿用紙を捨てられるかどうかの判断をも迫る」という。 原稿用紙という存在すら忘れていた僕らには、ハッとさせられる指摘です。 あるいは、今福龍太さんは、 「オーラリティの世界に反響する音声としての言葉は、一度文字記号のなかに落ち着いてしまうと、ミメティックな能力が失われる」 と『身体としての書物』で声にだされたことばのもつ模倣的(ミメティック)な性格を指摘すれば、 酒井健さ

  • 身体としての書物/今福龍太: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』を書き終えたばかり(しかも発売前)ですが、今度はインターフェイスに関するを書きたいなと思っていて、構想を練りはじめています。 インターフェイスといっても、いわゆるユーザーインターフェイスという狭い範囲の話ではありません。ましてやGUIだけについて書きたいわけではありません。 文字や、絵画、それから器やこれまで歴史的に登場した民具なども含めた、もっと広い意味での人間と外界とのインターフェイスについて書くことで、現在のユーザーインターフェイス(GUIもTUIも含めて)を超えたインターフェイスの可能性を開くことができると考えています。それは白川静さんの文字学や宮常一さんらの民具の研究、そして、バタイユの「非-知」、ベンヤ

  • 文字の官能性、書物としての身体: DESIGN IT! w/LOVE

    と書いたこととも重なってきます。 このあたりにピンとこないと、情報やコミュニケーション、発想やアイデア、そして、それらのためのデザインやデザインを通じて情報やコミュニケーションを扱う人びとの能力といったことがわからないだろうと思います。 その意味で、僕らは、もういちど、書物や文字というものの姿をしっかりと見直す必要がある。僕はそう思っています。 書籍の官能書籍も、文字も、当はもっと身体的で、芳しさや艶めかしさをもっているものだし、官能的であり呪的なものだと思います。 例えば、今福さんは『身体としての書物』のなかで、タイトルにもなっている「身体としての書物」ということを考えるにあたり、身体を英語のボディへと翻訳し、それをワイン用語のボディへと変換してつなげることで、さらにボディに対応する日語を探りながら「コク」へと辿りついています。そして、そのコクは漢字で書けば「濃く」であり、それが古語

  • 芹沢銈介の文字絵・讃/杉浦康平: DESIGN IT! w/LOVE

    芹沢銈介さんは、日民藝運動にも参加した染色作家で、型絵染(布の代わりに紙を型紙で染めたもの)の人間国宝にもなっている人です。その芹沢さんの作品には文字を主題にした作品も多い。 例えば、下は「山」という文字を主題にした2つののれん作品。 藍色ののれんに染めだされた山文字には木が生え、雲がたなびいています。 雲は雨を降らし、木々などの植物を育てます。それが山という文字を主題とした絵のなかに端的に表現されている。 こうした芹沢さんの文字絵作品の魅力を語ってくれるのは、20年以上にわたりアジアの人びとが生み出した造形美に着目し、さまざまな形(例えば、前に紹介した『宇宙を叩く―火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響き』など)で紹介してくれている杉浦康平さん。 杉浦さんには、昨年末に出版された『文字の美・文字の力』というもありますが、書 『芹沢銈介の文字絵・讃』でも芹沢銈介さんののれんや屏風、ときには着物

  • 生きた文字が溢れている: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の『日の面影』を読んでいます。 僕が読んでいるのはハーンが1890年の4月に日にやってきてはじめて書いた作品集『知られぬ日の面影』27編から11編を抜粋して編集した角川ソフィア文庫『新編 日の面影』。いまはそのの半分くらいの6編を読み終えたところです。 このを読んでると、日のことがますます好きになります。そして、僕らにはもはや目にすることが叶わない明治20年代の日に触れることができたギリシア生まれで日に帰化したハーン=八雲のことをうらやましく感じます。 詳しくは書評をあらためるとして、今日は「東洋の第一日目」と題された1編から気になったところを抜粋しておきます。 ラフカディオ・ハーンの「東洋の第一日目」明治23年の4月4日、4

  • 白川静 漢字の世界観/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 白川さんのを読むということは、文字という形態により言葉をあらわす人工物の世界観・体系、あるいは、それを用いる人間の観念や行為と形態との関係を探ることを意味します。それはハーバート・A・サイモンが1967年の『システムの科学』("The Science of the Artificial")ではじめて描いたデザイン思考(Design Thinking)という概念もその領域に含んでいます。ものの形を吟味することを仕事とするデザイナーがこうした関係性について無視するのはどうしたことか?と疑念をもたずにはいられません。 人間中心設計を高らかにうたっている人でも同様で、いまの人間や社会だけを前提に、あきらかにそれ以前からのスタイルの影響を受けているものの形をあれこれいうのは視野狭窄

  • 文は記号の総体である: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 文は文身(イレズミ)であり、字は幼名(アザ)であり、書は呪的な目的のもとに隠された呪文であったそうです。 文身は、出生・成人・死喪の際の通過儀礼として行われ、人の胸郭に朱色で記号を加えた形をもとに文という字が象形されているといいます。女性の場合は両乳をモチーフとしてその周囲に文身を加える。その字は奭あるいは爽。いずえも爽明の意をもつのだそうです。文も奭も爽も、霊界に入る人の聖化の方法として用いたイレズミを象形かつ象徴している字です。 人が生まれたときにも、やはりその額にしるしをつけ、邪霊が依り憑くのを祓い、転生の祖霊を迎えたといいます。それを象徴する字は、ひたいを象形する雁垂れの形の上に文をしるし、下に生を加えた産。成人のときに同じくひたいを象形する雁垂れの形の上に文をしる

  • いまなぜ白川静なのか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、白川静さんのを読んで紹介しているのですが、どうも人気がないようです。 僕の紹介の仕方がつまらなそうに思わせてしまうのか、自分とは関係のない分野の話と決め込んでしまっている人が多いからなのか、あるいは、すでに皆さん読まれているからかわかりませんが、理由はどうあれ、まだ白川静さんに触れたことがない人はぜひどれでもいいので一冊読んでみることをおすすめします。 どれがいいか迷う人は『漢字―生い立ちとその背景』から読まれることをおすすめします。 このに関しては、いま半分ほど読んだ『白川静 漢字の世界観』で、松岡正剛さんがこんな風に書いています。 文字のひとつずつを解明するだけでなく、文字がそのような形や音という根拠をもたざるをえなかった古代社会の祈りや恐怖や欲望や期待を解明

  • 呪の思想―神と人との間/白川静、梅原猛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、一冊読んで面白かった人のを続けて読む機会が多くなっています。 松岡正剛さんは別格だとしても、すこし前の高山宏さんもそうだし、割と最近では田中優子さんもそうでした。そして、いまは白川静さんのサイクルに入っていて、『初期万葉論』と『漢字―生い立ちとその背景』に続いて、梅原猛さんとの対談である『呪の思想―神と人との間』を読みました。 対談当時、白川静91歳、梅原猛76歳というからそれだけですごい。しかも、お二人ともこんな素敵なお顔をしてます。 91歳+76歳に蓄積された知識の深みは感嘆するばかりです。さらに対談ですから読みやすく、ほかの白川さんの著作に比べたらはるかに読みやすく、はじめて読む方にもおすすめ(もう1冊入門書としては最近出たばかりの松岡正剛さんによる新書『白川

  • 漢字―生い立ちとその背景/白川静: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 当に人間について知りたければフィルードワークだけでは足りません。だって、フィールドワークできない場所でも人間は生きていたのだから。そう、もはや僕らが足を踏み入れられない過ぎ去った過去にも。 過ぎ去った過去における人間を知る(特に人間中心のデザインの観点から)という意味では、例えば、『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』で紹介されている深澤直人さんの「アクティブ・メモリー」という用語がおもしろいです。 アクティブ・メモリーとは、特定の個人における経験的な記憶を指すのではなくて、誰もが共通に知っているものの形を通じて身体に意識されないような形で残っている記憶を指します。例として出されるのは、毎日触っている電車のつり革の形は意識としてはよく覚えてはいなくても、ある日その形

  • 空海の夢/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 木から降り二足で立ち、直立歩行ができるようになった裸のサルは、両手が自由になって道具を操ったり指折り数えることができるようになり、目線が高くなって遠くまで見渡せる両眼視を手にいれ、声帯筋が直立することで声の分節化が行えるようになり、その声の分節パターンが大きくなった脳に記憶されることで言葉を操れるようになりました。 しかし、 まったく「坐る」とは東洋の恐ろしい発見だったと思う。 今日、暗く冷たい伽藍のなかの如来像や阿弥陀像をみてもわかるように、仏僧たちは直立歩行で自由になった手を結びなおし、両眼をあえて半眼のソフトアイにして、繰り返し経を唱えることで自由な発話・思考から離れることで、進化を抑制しようとしていたようにさえ思えます。 土橋寛さんの『日語に探る古代信仰―フェテ

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