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認知科学と般若心経に関するgitanezのブックマーク (5)

  • 僕たちはいったい何を見ているのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    昨日の「僕たちに自由意志はあるのか?」での自由意志に関する話だけでなく、現代の脳科学に明らかにする様々な事実は、僕らが普段信じている世界を一変させるインパクトをもったものが少なくありません。 またもや池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』からの引用になりますが、こんな記述。 網膜から挙がってくる情報が視床にとって20%だけ、そして、視床から上がってくる情報は大脳皮質にとっての15%だけ。だとしたら最終的に、大脳皮質の第一次視覚野が網膜から受け取っている情報は、掛け算すればよいわけだから、20%×15%で、なんと全体の3%しか、外部の世界の情報が入ってこないことになる。残りの97%は脳の内部情報なんだよね。 これ、すごいですよね。3%ですよ、3%。たったの3%しか脳は目からの情報を受け取っていない。 一体、じゃあ、何を見てるのかという話ですよね。 残りの97%が脳の内部情報だとしたら、普段見ている

  • 無根拠な世界を般若=行動する知で問う: DESIGN IT! w/LOVE

    以前に紹介した玄侑宗久さんの『現代語訳 般若心経』を読んだ際、僕は般若心経というものが認知科学そのものだと感じたのですが、今日の茂木さんのブログ「クオリア日記」にも同じようなことが書かれていました。 青松寺。 般若心経についてお話した。 「色即是空」がいかに現代の認知科学の 見地からみて妥当な思想であるか ということを説明した。 般若心経では、五蘊として、 色 : 物質的現象、形あるもの受 : 感覚、外界と触れて何らかを感受すること想 : 表象、知覚、脳内にできあがる具体的なイメージ行 : 意志、特定の方向に気持ちが志向すること識 : 認識の蓄積、あらゆる知識や認識の総体 が認識の5つの形態として挙げられています。 そして、それと同時に、 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 観自在菩薩さまはこの五蘊が皆、空だとわかったといっているのです。 色即是空は、そのうちの色がす

  • ブランドとは何か?:2.般若心経の五蘊: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、前回の「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号論」では、A Model of Brandとパースの記号論を参照することで、ブランドが確固たる対象をもたず、同時にまったくそれを表象する対象がないわけでもない、認知の総体であることについて触れました。 般若心経のなかの五蘊(色・受・想・行・識)と色即是空このブランドを実体としてではなく、複雑な関係性のなかに生起してくる解釈論、認知論的な存在として捉える見方は、同じく般若心経のなかにも見出すことができます。 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 ここでは、観自在菩薩は五蘊が皆、空だとわかったといっています。 五蘊とは、私たちの身心を構成する5つの集まりとされ、次の5つを意味

  • 現代語訳 般若心経/玄侑宗久: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いやー、般若心経がこんなに自分にしっくりくるとは思いませんでした。 ここ最近、人の認知や意識、思考などに関するを読み、ブランドだとか、マーケティングだとかを考えていたわけですが、要素に還元しない、複雑系~自己組織化的な知を考察するにはいったいどうすればいいんだろうと正直迷ってました。 でも、うちの社長に紹介されて読んだ、この玄侑宗久さんの『現代語訳 般若心経』。ブランドの構造的なモジュール化だけでは決してしっくりこなかったブランドや認知というものに関する迷いを結構すんなりと払いのけてくれました。 般若心経ってところで般若心経の般若ってなんなんでしょう? いかにソクラテスがデルフォイの神託どおり賢明であり、その弁明が優れていたとしても、理知的な分析知は必ずや「全体性」を分断

  • 未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 多和田葉子さんの中篇小説『ふたくちおとこ』に登場する、口と肛門のふたつの口で話すティルは、当は名前がなく、みんなのなって欲しいものになる。観光客の前では「オンガク」や「ワイン」と名乗り、手伝いを必要としているパン職人の前ではパン職人と名乗ります。また、鍛冶屋の親方から「おまえのせいで経費にマイナスが出た」と言われれば「わたくしの名前はマイナスであります」と切り返します。 町から町へと渡り歩いたティルは「ニーダーザクセン中世の旅」に参加する日人ツアー客の一向にまぎれこみます。ティルの言葉の上でなっただけの言葉は、ツアー客の一行に混乱の種を蒔き、日人ガイドはティルの言葉を通訳しようとして、まったく別のことをしゃべってしまう。その通訳の内容を聞いて、観光客はまた勝手な方向へ

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