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2009年8月18日のブックマーク (3件)

  • 古代研究―2.祝詞の発生/折口信夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 折口信夫さんのおもしろくてたまりません。 先日、このブログ上でも紹介した『古代研究―1.祭りの発生』に続けて、『古代研究―2.祝詞の発生』を読み終わりました。いまはさらに続けて、『古代研究―3.国文学の発生』を読んでいます。 折口さん自身が、このに所収の「神道に現れた民族論理」に「日人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最も古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくった、呪詞であつて、其が、日人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ」書かれていますが、僕も折口さ

  • » 「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由 [さまざまなデザイン]

    ある製品を開発するにあたって必要なのは「普遍性」であり、それは言葉で説明できるものではなくてはならず、それをユニバーサルの説明とするべきだと書いてきました。固有の文化性は、そこにプラスするのであって、文化性をコンセプトのコアに据えてはいけない、と。また、そういう話もしてきました。そこでいう文化性とは「固有性」を指し、別の表現に置き換えれば、「コンテクスト依存」ということになります。あるいは加藤周一の引用でいけば「今とここ」です。 異民族や異文化を支配するためには、物理的な暴力による強制とともに、支配を正当化する言説を必要とする。その言説は、被支配者に対しても説得的でなければならない。あるいは少なくても支配者の側が、説得的であり得ると考え、主張することのできるものでなければならない。そういう言説が生み出されるのは、境界の開かれた文化圏のなかからであって、閉じた地域文化のなかからではない。 こ

  • 「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由 - michikaifu’s diary

    こんな記事を読んだり、日から来た友人たちと議論した中で感じたこと。 日で電子マネーの普及が進んだ理由 - Innovation Design 同じインドで生まれたのに、ヒンズー教はインドの外には広がらなかったのに対し、仏教は世界三大宗教のひとつとなったのはなぜか。ユダヤ教とキリスト教の違い、といってもよい。それは、ヒンズー教やユダヤ教が、当該民族の特性や置かれた環境に深く依存していたのに対し、仏教やキリスト教は、そうした「コンテクスト」から離れた、より広い人類全体に適用できる、普遍的要素が大きかったからだと思う。 同じように、iPhone教(もしくはアップル教)なら世界に広がるのに、おサイフケータイ教が広がらないのは、日市場という「コンテクスト」に依存する部分が大きすぎるからだと思うのだ。 「電子マネー」およびその前触れである「非接触型カード」の「コンテクスト」については、上のエント

    「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由 - michikaifu’s diary
    gitanez
    gitanez 2009/08/18
    ちょっと待て、といいたい。おサイフケータイが日本で普及していることを前提にしてますが、それ事実? カード型の普及とおサイフケータイの普及がごっちゃです。あるいは端末普及と実利用の普及がごっちゃ。