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2019年10月9日のブックマーク (2件)

  • 英雄視しない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    週末、岸田劉生を観たこともあって、明治期の知識人のことについて考えてみたくなった。 明治期の知識人たちの現代人とは比べものにならない知への欲望、自己研鑽の徹底について、もうすこしちゃんと知った上で、考えてみたくなったからだ。 それで、いまこそ、そのタイミングと思い、1年くらい前に買っておいた夏目漱石の『文学論』を読みはじめた。 青年の学生につぐすると、「序」にさっそくこんな一文を見つけた。 青年の学生につぐ。春秋に富めるうちは自己が専門の学業において何者をか貢献せんとする前、先づ全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せんと企づる事あり。かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通ずるの期はあるべからず。余の如きものは未だに英文学の全体に通ぜず。今より2、30年の後に至るも依然として通ぜざるべしと思う。2年間のロンドン留学をしていた漱石が最初の1年間をあらゆる英文学作品を読破しよう

    英雄視しない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2019/10/09
  • 没後90年記念 岸田劉生展@東京ステーションギャラリー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    学び、自己鍛錬に関しては、昔の人にはかなわない。 それにくらべれば、今の僕らの学びに対する姿勢など、ないにも等しいと自己嫌悪的に思えるくらい、たとえば、明治期を生きた人たちの当時の学びへの姿勢をみるとその覚悟と実際の学びの結果の強さを感じる。 これは当にもうずっと前から事あるごとに感じていたことで、だからこそ、なんとかすこしでもそれに近づこうと学びは怠らないようには日々過ごしているつもりだ。 だが、それが「つもりでしかないかも」と思えたのは、昨日も東京ステーションギャラリーで行われている「没後90年記念 岸田劉生展」での岸田劉生の「絵を描く」ということへの取り組み、その結果を目の当たりにして、昔の人々の学びの姿勢の強度をあらためて感じたからだ。 38歳という若くして死ぬことになる長くはない人生のなかで、岸田劉生という人がみずからの身体を蝕む病と付き合いながらも、絵画というものに対して、実

    没後90年記念 岸田劉生展@東京ステーションギャラリー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2019/10/09