週末、岸田劉生を観たこともあって、明治期の知識人のことについて考えてみたくなった。 明治期の知識人たちの現代人とは比べものにならない知への欲望、自己研鑽の徹底について、もうすこしちゃんと知った上で、考えてみたくなったからだ。 それで、いまこそ、そのタイミングと思い、1年くらい前に買っておいた夏目漱石の『文学論』を読みはじめた。 青年の学生につぐすると、「序」にさっそくこんな一文を見つけた。 青年の学生につぐ。春秋に富めるうちは自己が専門の学業において何者をか貢献せんとする前、先づ全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せんと企づる事あり。かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通ずるの期はあるべからず。余の如きものは未だに英文学の全体に通ぜず。今より2、30年の後に至るも依然として通ぜざるべしと思う。2年間のロンドン留学をしていた漱石が最初の1年間をあらゆる英文学作品を読破しよう
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