クリエイティブ。 その言葉が視覚表現偏重にあるのは、どうにも気にくわない。 特に、言葉で表現された小説や詩などが置き去りになっている傾向は、クリエイティブの言葉を深みのないものにしてしまうようにも思える。 視覚表現のように、それほど時間的な労力や思考をするという労力をかけずに済むものに対して、書かれたものを読むという作業を伴う言語表現芸術はなるほど時間も思考コストもかかる。 けれど、だからといって、それらをそれだけの理由で鑑賞の対象から除外して、コストのかからないものにばかり逃げる怠惰さによって、言語表現芸術がクリエイティブという領域の外へと忘れ去られる事態はなんとも馬鹿げていると思う。 いまは拡大解釈されてしまって意味がよくわからなくなってしまっているが、そもそもリテラシーとは読み書きの能力を指す言葉だ。けれど、読み書き能力が乏しく、そこに時間も労力もかけられない人が平気でリテラシーを語
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