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creativityとbookに関するgitanezのブックマーク (9)

  • 発想法―創造性開発のために/川喜田二郎: DESIGN IT! w/LOVE

    といっても、単にKJ法だけを紹介したじゃありません。タイトル通り、発想法について書かれたで、KJ法はそのなかで使うツールの一部です。で、発想法とは何かというと、こんな説明があります。 発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。 アブダクション(abduction、発想法)インダクション(induction、帰納法)デダクション(deduction、演繹法) という3つの分類はアリストテレスによる論理学の方法の分類。帰納法と演繹法については知られていますし、その方法もギリシア以来発展してきていますが、アブダクション=発想法はそれに取り残されてきた形です。アブダクションという言葉もアリストテレス以来、忘れられていて、その名前がひさしぶりに登場したアメリカのプラグマティズムの祖として知られるチャールズ・パースが取り上げたからでした。 と

  • デザイン12の扉―内田繁 松岡正剛が開く/内田繁/松岡正剛 編著:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「携帯電話が入らないのは衣服のデザインの問題なのか?」や「包むデザイン:身体を包む衣服、都会に包まれる衣服」で、衣服のデザインについて書きはじめてちょっと気づいたことがあります。 それは、もしかするとWebの話やIT、科学や経済、ライフハックやAV機器について語る際には饒舌なブロガーも実は、ファッションあるいは生活雑貨のように個人に根ざした感覚的な要素が多分にあって、理屈や論理で語れないものを前にすると途端に寡黙になってしまうのでは?ということです。 ちなみにここで「ファッション」と記述していますが、それは必ずしも流行服の意味で使っているのではなく、衣服全般の意味で使っています。衣服と書くよりも、ファッションと書いたほうが、機能的な側面よりも、趣味的なもの、個人的なセンスに

  • ファンタジア/ブルーノ・ムナーリ: DESIGN IT! w/LOVE

    いやー、創造力とは何か、どうすればそれを高めることができるかということを考える上では、すごく参考になるでした。 無知こそが最大の自由を与えると信じるのは絶対に間違っている。むしろ、知識こそが自己表現の手段を完全に操る手段を与えるのだ。 ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari、1907-1998)は、イタリアの美術家で、グラフィック・デザイナー、プロダクト・デザイナーであり、また、美術教育者であり絵作家です。 このでムナーリは、創造力って何? それはどうすれば自由に働かせ扱えるようになるの? ということを考え、そのヒントを用意してくれています。 創造力のメカニズムまず、ムナーリは人びとが外界を認識し記憶した上でどのように創造力を発揮して再度外界に働きかけるかのメカニズムを以下のような図で表現しています。 創造性においてどれだけ過去の記憶が重要なのかという点に関しては、ムナーリもさ

  • 伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日/奥山清行: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分が何が好きで何が嫌いかがわかっていなければ、何をつくっていいかもわからないし、何を買えばいいのかもわからない。 昨日のエントリー「これからは「いらないけれど、欲しくて仕方がないもの」をつくらないとね」でも紹介した奥山清行さんの『伝統の逆襲―日の技が世界ブランドになる日』を読んで、あらためて大事なことだと感じ、このブログでも繰り返し訴えていかないといけないと思ったのはそのことです。 奥山さんは、日のものづくり組織の問題として、縦割りの組織になっているということを挙げています。 部門が縦割りのため、真っ先に必要な「このような『もの』をつくりたい」というビジョンは、商品企画の人が考えればいいのか、それともデザイナーなのかエンジニアなのかが明確になっていない。さらにそうした

  • 自分の仕事をつくる/西村佳哲: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 とても面白いだったので、さらっと読み終えてしまいました。 モノづくりと仕事の仕方の関係を見つめなおす上では、非常に参考になる一冊だったと思います。 西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』は、著者がIDEOや象設計集団、柳宗理、パダゴニアなどのモノづくりの仕事の現場を訪ね歩き、聞いた話を元に、さまざまな働き方とそこから生まれる結果、そして、他人に与えられる仕事ではなく「自分の仕事」をつくるとはどういうことかを考察したエッセイです。 観察する力、身体を使った表現おもしろいと感じ、参考になる部分が多すぎて、とても全部は紹介し切れませんが、その中でもいくつか気になったところをピックアップしておきます。 まず、サンフランシスコにデザインオフィスをかまえる八木保さんのインタビューより。

  • 失敗学―デザイン工学のパラドクス/ヘンリ・ペトロスキ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 必要は発明の母である。 この僕たちが抱くあまりにもロマンチックすぎる幻想を、著者のペトロスキはのっけから破壊してくれます。 「必要は発明の母」というが、発明の母になるのは必要ではなくて欲望である。新しい事物や、事物についての考えは、現存する事物に対するわれわれの不満から、また、われわれがかくなされてほしいと思うことを満足になしとげてくれる事物がないことから、発している。より正確に言えば、新しい人工物や新しい技術の発展は、既存の事物や技術が、約束通りに、または当初希望され想像されえた通りに働いてくれないことから生じるのである。 新しいものは何の前触れもなく突然舞台に現れるのではないということです。 創造に対するあまりにロマンチックすぎる思い込み新しく舞台に登場したものは、所詮

  • ワークショップ―偶然をデザインする技術/中西紹一編著: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いかにして組織(といってもチームレベル)の創造性(生産性ではない)を高めるかが僕の中ではいま一番ホットなテーマだったりします。 それは「組織の創造性を向上する技法」というエントリーにも書きましたが、そこで考えたブレインストーミングとワークショップという手法のうち、ブレインストーミングは「コラボレーションのプラクティスではない」のだそうです。 何人か集まってのブレインストーミングはプロトタイプをつくるためのプラクティスであってコラボレーションのプラクティスではないのだ。 上記の引用に連なる話を読んでてなるほどと思いましたので、ちょっと「コラボレーション」という意味を捉えなおさないといけないなと思いました。 で、もう1つの手法であるワークショップ。こちらが今回、紹介する『ワーク

  • イノベーションの達人―発想する会社をつくる10の人材:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 IDEOのイノベーションの技法を紹介した『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』の続編。今回はイノベーションを実現する方法を、人という側面から紹介してくれています。 これがまたおもしろく、とても参考になりました。 すでに「ブレインストーミングの7つの秘訣」「サッカーチームに学ぶ5つのチームワークの鍵」「未来を切り開くスキルとしての他家受粉」「組織の勝負は個の能力ではなくバトン・パスで決まる。」などのエントリーでところどころ紹介していますが、読了したので、あらためてご紹介。 イノベーションは究極のチーム・スポーツである。すべての役割に、それぞれの分野で最高の仕事をさせれば、イノベーションを推進する前向きの力が生まれる。 このには

  • 天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 茂木さんがレオナルド・ダ・ヴィンチについて考察しながら、天才とは何か?ということや、天才と総合力の関係について、ご自身の考えを述べた。 今日、屋で見つけて気になったので買いましたが、なかなか興味深くてすぐに読み終わりました。 レオナルドは「万能の天才」だったか?茂木さんはまずこので、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』をはじめとする有名な絵画を多数残したことのみならず、「ヘリコプター」や「人工翼」などの設計図を残したことにより、「万能の天才」として知られるレオナルド(通常、略称とされるダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という意味であり固有名として用いるのは適さないと思えるので、ここではレオナルドと記すことにします)が、やはり「何よりも画家であった」と見るのが妥当であることを指摘

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