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historyに関するgitanezのブックマーク (84)

  • ペルソナはまず調査・分析ありき: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 これだけペルソナ手法が注目されても、まだ誤解があるようですね。 ユーザーに関する調査をせずに作ったユーザー像なんてペルソナって呼びません。 それってもっともらしくユーザーについて考えた風なだけです。 そもそもね、ペルソナ/シナリオ法で大事なのは、ペルソナを作るほうじゃなくて、ユーザーの行動やその背景を調査して、ユーザーとモノとのあいだのインタラクションを見直すことです。むしろ、調査して、きちんと分析するならペルソナなんか作らなくていいくらいです。それを調査もせずにペルソナを作りましたなんていうコンサルタントがいたら信用しないほうがいいですよ。 調査・分析でユーザーの行動構造をモデル化できなければペルソナなんてただの妄想もちろん、形式ばった調査だけが調査ではありません。『ペル

  • 表象の芸術工学/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE

    まさに、高山宏さんはこののなかで膨大なサイン(表象)を相手にしています。そして、これまで人類が様々な時代において、サイン(表象)を相手にどう対処してきたかを紹介してくれています。 この講義が大学で行われていたなんて、なんともうらやましい。 デザインとは「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法しかも、いまの「デザイン」なんて領域をははるかに飛び越えて、来「デザイン」がどんな文脈でどのように用いられていたかを丁寧に紐解いてくれます。 例えば、エドガー・アラン・ポーの例としてはこんな風に。 ポーはこれを『詩作の哲学(Philosophy of Composition)』(1846)や『詩作の原理』といったエッセイにまとめ、詩は神から霊感を受けたある特殊な天才による特権的な仕事ではなく、音韻の持つ機能的な構造をしっかりと分析した技術者であれば誰でも作れるとまでいう。文学もデザイナ

  • 20世紀はどのようにデザインされたか/柏木博: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最初に柏木博さんの書かれたものを読んだのは『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』でした。それ以来、すでに何冊か柏木さんのを読んでいます。もちろん、何冊も読みたいと思うのは、柏木さんのデザインを見つめる視点がそれだけ魅力的だからです。ただ、その魅力というのはデザインあるいはデザイン史というものに1つ確固とした視点を明らかにしているからというよりも、その視点が万華鏡のように様々な形で披露されるところにあります。 「柏木博のはみんなとりあげないと、そのデザイン思想はわからない。」と松岡正剛さんは言います。確かにそのとおりで、これまでこのブログでも何冊か柏木さんのは紹介してきましたが、『玩物草子―スプーンから薪ストーブまで、心地良いデザインに囲まれた暮らし』と『「しきり

  • デザインの現場に元気がない理由?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 そんなこと思うの僕だけなのかな、とか思っていたら、やっぱりいまの世の中、プロダクト系のデザインが元気がないと感じている方はいるそうです。 元気がなくなるのはとうぜんで「売れるものをつくる」ということ以外に行動哲学がないわけだから、身体が元気よく動くはずもないんですよね。数字ばっかりいじくりまして、未来予想の出来そこないのようなことをしても、「何を作るのか?」という答えなんて見つかるはずはないですから。デザインの場合、未来を予測するんじゃなくて、自分たちがつくる未来を想像することが大事なんですから(「どういう世界を実現したいのか。そのために何が必要か」参照)。 もちろん、数字をいじくるなとかいうことではないんです。それはそれでもちろん必要です。デザインばかりが仕事の方法じゃな

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  • ペルソナスクエア連載>1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「ペルソナスクエア」の連載「ペルソナ作ってそれからどうするの?~ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン~」で、新しい記事が公開されました。 1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン:http://www.personadesign.net/square/2008/05/12.html 「"化けもの進化"したものは破棄がおすすめ。」で「この辺に関しては明日か明後日あたり「ペルソナスクエア」の連載で話題にするので、そっちを参照してくださいな。」と書いたものです。 前回の「近代デザインが描いた未来のライフスタイル」では、自由・平等・博愛の近代主義の流れにのった近代デザインが、旧来の制度に縛られた生活様式から人びとを解放するために、誰もが自由に好きな生活様式を選択できる

  • ペルソナ作ってそれからどうするの??ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン?(1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン)| 棚橋弘季(株式会社イード )| ペルソナス

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  • 日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで/土橋寛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 養老孟司さんが、佐治晴夫さんとの対談集『「わかる」ことは「かわる」こと』で、「思想が行動に影響するという考え方がまったくない」ということをおっしゃっていたのは「「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫」というエントリーのなかで、すでに紹介しました。 僕らはふだん自分の意志で自由に行動し、自由に考えているつもりかもしれませんが、所詮その自由も自分の信じる思想の範囲での自由でしかないことを忘れがちだし、そもそも、そのことに気づいていない人さえいるでしょう。 その意味では、「信仰」とは行動や感情を決めるシステムであるということを、もう一度見つめなおしたほうがよいのでしょうし、自分では見えにくい自分たちの信仰というものを別の信仰と比較することで浮かび上がらせることが重要か

  • ユニバーサル・デザイン批判: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエなどに代表される「機能の合理性を求め、無駄な装飾を排除していった建築」に関して、arclampのyusukeさんがこんなことを書いています。 ここに至って、僕としては機能とは単独の存在として切り出して形を有するようなものではないと考えます。すべては関係によって成り立っている。それが凸的とか凹的であるとか、そういうことではなくて総体そのものが関係によって構成されている。 機能と関係性。 ここでの関係性は普遍的なものというよりも、アフォーダンスについて書かれていることからも、環境と生物がその都度織り成すコンテキスチュアルなものと考えてよいのではないかと思います。 一方の機能のほうはといえば、そのコンテキストを無視した形で普遍化を目指

  • 包むデザイン:身体を包む衣服、都会に包まれる衣服: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、「携帯電話が入らないのは衣服のデザインの問題なのか?」を書いてみて、あらためて衣服のデザイン(スーツのデザインじゃないから)を考えてみようと思ったのエントリー。 まずスタートはここから。 大陸では、敵が攻めてこないように城壁で土地を囲います。これは寒いから衣服を着るのと同じで、働きを果たすことを目的として何かをつくる<機能主義>です。しかしながら、城壁と衣服とは、同時にまったく違う意味をもつことに注目すべきです。城壁の中は人間がつくったもので埋められ自然は排除されるのに対し、衣服の内部は人間がつくらなかった身体という自然だからです。 機能主義は機能主義でも、ポケットに携帯電話が入るかどうかという機能ではなく、まず衣服としての第一の機能としての人間の身体を包めるかがここ

  • フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕らは普段やたらとほとんど根拠もないままに、何かが役に立つとか立たないとか、勝ち組だとか負け組だとか、あれは間違ってるとか悪いとか、自分はダメだとか弱い人間だとか、そんなことばかりを気にして生きています。そして、いつでも役に立つほう、正しいほう、強いほう、勝ち残ったほうをほとんど無条件によいものだと信じています。知識を得るのにも、仕事をするのにも、量より質だとか信じているのか、ほとんど独断的ともいえる"選択と集中"とやらでみずからが関わる領域を狭めています。 一方、生物進化論の分野でも、自然淘汰を核とするダーウィニズムが幅を利かせ、変化する環境に適応した種が生き残りつづけることで進化が進んできたことを示唆しています。環境において強さをもつものが生き残ってきたとでもいうように

  • 複数の「古代」/神野志隆光: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 712年に成立した『古事記』と、720年に成立した『日書紀』。ほぼ同じ時期に成立し、内容も神武天皇以下歴代の天皇について述べ、おなじような話を扱う部分が多い2つの「古代」を扱う書物。この2つの書物を前に、著者は「『古事記』と『日書紀』はひとつの歴史を語るものとして見るべきであろうか」と疑問を投げかけます。 この問いに、著者が提示している答えは、NO。 著者は『古事記』と『日書紀』という2つの書物は、それぞれ異なる「古代」を記述したものだという考えを、『古事記』や『日書紀』に関する知識がそれほどない僕が読んでも理解できるよう、わかりやすく提示してくれています。 『古事記』と『日書紀』まず、年始の「「間」のデザイン」というエントリーでも書いたように、日は古来、文字を

  • 本棚の歴史/ヘンリー・ペトロスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『失敗学―デザイン工学のパラドクス』に続いて、ヘンリー・ペトロスキーの『棚の歴史』を読みました。 という主役の背後に隠れて見落とされがちな、縁の下(の下?)の力持ちである棚の歴史的な進化を追った一冊です。棚との共進化、そして、それらを収める図書館などの建物の進化を「パピルスから作られた巻物」の時代から現代まで綴ったです。 棚の話はの話なくして語ることはできない。が巻物からコデックス[冊子]、印刷へと進化していった過程とからめて眺める必要がある。棚は二十一世紀には無用の長物となる秘伝ではない。これらは文明の基資料の一部であり、現在における科学技術の発展をよりよく理解し、未来図を描く手段となる。未来は、私たちが期待しがちな姿よりもっと現在や過去に

  • 橋は30年周期で失敗し、伊勢神宮は20年ごとに遷宮される: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、紹介したヘンリ・ペトロスキの『失敗学―デザイン工学のパラドクス』には、重大な橋の失敗(崩壊などの事故)が、1847年、1879年、1907年、1940年、1970年、そして、1999年のロンドンのミレニアム橋まで、ほぼ30年周期で起こっていることが紹介されています。 橋はなぜ30年周期で失敗するのか?なぜ橋の失敗が30年周期で起こってきたのか? 最初にこの現象に気づいた研究者、ポール・ジブリーとアラステア・ウォーカーは、次のように説明しているそうです。 すなわち、30年というのは、あるひとつのプロジェクト、または、一連の関連プロジェクトで働いている人々が作り成す技術文化の中で、およそ、一世代のエンジニアが次の世代に置き換わるのに要する時間だというのである。新しい、また

  • 『本棚の歴史』は情報デザインを考えるうえでとても面白い:デザイン思考養成所

  • 人間中心のデザイン(Human Centered Design):人間の性質にあわせるデザインのアプローチ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 以前、僕は人間中心デザイン(Human Centered Design、HCD)と呼ばれるものとユーザー中心デザイン(User Centered Design、UCD)と呼ばれるものは同じものだとこのブログでも書きました。 しかし、最近、2つはすこしアプローチが違うのではないかと思いはじめています。 また、もうひとつややこしことにContextual Designという手法を開発し、その手法を推進しているInContext Enterprisesでは、Customer-Centered Designなんて言い方をしていたりもします。 今日はこのあたりをすこし整理してみたいと思います。 人間中心デザインの歴史Customer-Centered Designについてはとりあえず

  • すばらしいものはもう過去に達成されている: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが言っていることですが、最近みたレオナルド・ダ・ヴィンチやル・コルビュジエの仕事を考えると、まさにそのとおりだと感じます。 余計なことをしたくないということが前提ですからね。でもそれは最初から余計なことをしたくなかったわけではなくてむしろ余計なことをしてきたのです。古典的ですし、バウハウス的な感覚もどちらかというとあるし、ミース・ファン・デル・ローエに対する憧れもある。すばらしいものはもう過去に達成されていると思います。すべて完璧に達成されてしまっている。 昨日の「成功の障害としての「わかってるつもり」」とも関係すると思いますが、結局、いまを生きる僕らが行うべきは、すでに完璧に達成されたものをいまの文脈において

  • 系統樹思考の世界/三中信宏: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 読んだ書評はできるだけ、このブログに書こうと思っているのですが、たまにどうしても書評を書けないがいくつかあります。三中信宏さんの『系統樹思考の世界』というもその1つでした。 「未来を切り開くスキルとしての他家受粉」ですこし取り上げましたが、そのときもこの際、書評を書こうと考えたのですが、結局、書けませんでした。 しかし、今日になって突然、「今こそ『系統樹思考の世界』の書評を書くべきタイミングだな」と思ったのです。 それは学問の専門性や分類というものについて書くべき必要性を自分のなかで感じたからでもあります。 ウラだと思っていたら実はオモテだった前に『系統樹思考の世界』を取り上げたのが、「未来を切り開くスキルとしての他家受粉」という、複数の専門領域にまたがる知識欲をも

  • 天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 茂木さんがレオナルド・ダ・ヴィンチについて考察しながら、天才とは何か?ということや、天才と総合力の関係について、ご自身の考えを述べた。 今日、屋で見つけて気になったので買いましたが、なかなか興味深くてすぐに読み終わりました。 レオナルドは「万能の天才」だったか?茂木さんはまずこので、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』をはじめとする有名な絵画を多数残したことのみならず、「ヘリコプター」や「人工翼」などの設計図を残したことにより、「万能の天才」として知られるレオナルド(通常、略称とされるダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という意味であり固有名として用いるのは適さないと思えるので、ここではレオナルドと記すことにします)が、やはり「何よりも画家であった」と見るのが妥当であることを指摘