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literacyとbookに関するgitanezのブックマーク (3)

  • 声と文字(あるいは本というメディアについて): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「手書きであることを突き詰めれば、原稿用紙は不要だろう」 と鈴木一誌さんは『ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン』のなかでいう。 「原稿用紙は、活字組版のために、出版者と印刷所の文選工の字数の数えやすさと判読の助けとして開発された」とも続けています。 そして、また、 「手書きかワープロかとの問いは、原稿用紙を捨てられるかどうかの判断をも迫る」という。 原稿用紙という存在すら忘れていた僕らには、ハッとさせられる指摘です。 あるいは、今福龍太さんは、 「オーラリティの世界に反響する音声としての言葉は、一度文字記号のなかに落ち着いてしまうと、ミメティックな能力が失われる」 と『身体としての書物』で声にだされたことばのもつ模倣的(ミメティック)な性格を指摘すれば、 酒井健さ

  • 宇宙を叩く―火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響き/杉浦康平: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 文字、絵、物の形。それらが一体となり、触感、匂い、味覚や音さえも感じられるような表現が必要じゃないのか。マンガや絵では絵と文字が一体になっている。過去にさかのぼれば江戸時代の黄表紙などでは文字はマンガのような吹き出し表現すら介することなく絵と共存していました。 テキストが物を表象する。そういうシニフィアンとシニフィエのような従属的関係ではなくて、かつての象形文字や、オーラル・コミュニケーションでの言葉のように、言葉そのものが触感、匂い、味覚をまとって表出されるような表現を開発していく必要があるのだろう、と思うのです。 空気が読めない? いや、そもそも空気が書き表せていない「自分の判断で情報の取捨選択をすることなどできない」の前篇・後篇、そして、それに続く「自分が見たこと・

  • 複数の「古代」/神野志隆光: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 712年に成立した『古事記』と、720年に成立した『日書紀』。ほぼ同じ時期に成立し、内容も神武天皇以下歴代の天皇について述べ、おなじような話を扱う部分が多い2つの「古代」を扱う書物。この2つの書物を前に、著者は「『古事記』と『日書紀』はひとつの歴史を語るものとして見るべきであろうか」と疑問を投げかけます。 この問いに、著者が提示している答えは、NO。 著者は『古事記』と『日書紀』という2つの書物は、それぞれ異なる「古代」を記述したものだという考えを、『古事記』や『日書紀』に関する知識がそれほどない僕が読んでも理解できるよう、わかりやすく提示してくれています。 『古事記』と『日書紀』まず、年始の「「間」のデザイン」というエントリーでも書いたように、日は古来、文字を

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