タグ

pictureに関するgitanezのブックマーク (3)

  • 反−知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 数ヶ月前から気になっていたことの1つは、自分でブログを書く際、どうも昔に比べて何を結論として言いたいのかを意識して書くことが苦手になってるという感じがしていることです。 何も言いたいことがなければそもそも書くこともないわけで、そこはとうぜん書きたいことがあるから書いているのですけど、でも、いまの僕にとって、その「書きたいこと」というのは間違いなく「結論」じゃないというところがちょっと問題なような気がしていたんです。 僕にとってはむしろ、ダラダラと書き連ねているその過程で書いているそれぞれが「言いたいこと」であって、何か1つの結論をいうためにそれらを書き連ねているわけではないんです。 だから、どうしてもいわゆる起承転結のような文章の構成で書かなくてはいけない動機がないし、そん

  • 江戸百夢―近世図像学の楽しみ/田中優子: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『江戸の想像力 18世紀のメディアと表象』、『江戸はネットワーク』に続いて、田中優子さんの『江戸百夢―近世図像学の楽しみ』を読みました。 こので、田中優子さんは、応挙の写生、琳派のリアルから東照宮の幻想まで、そして江戸にとどまることなく同時代のベルニーニのエクスタシーからフェルメールが描いたデルフトの新興市民まで、タイトルどおり100枚の絵図を通じて、前近代にあった近世の世界を読み解いています。まさに図像学=イコノロジーです。サブタイトルに「近世図像学の楽しみ」とありますが、当に楽しめました。 「百」の世界、尽くしの世界このの魅力はなんといっても、その100枚の絵(写真含む)です。 そして、その1枚1枚の絵に寄り添うように書かれた田中優子さんの近世の世界を切り拓く文章

  • 写真=意味無シの図像: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「まずはテーブルに載せてみなけりゃはじまらない!」の続編として。 そう。物事を見ること、描くこと、そして、理解することについて、図像学(イコノロジー)的な考察を。 18世紀後半から19世紀初頭の江戸時代において「写真」という言葉は、現在のように'photograph'の意味ではなく、写実的な遠近法で描かれた西洋画、もしくは、それらに影響を受けて国内で描かれた写実的な要素のつよい風景画を指す言葉として用いられていたそうです。 文晁の海岸線の風景画は蠣崎波響の『夷酋列像』同様、「写真」と評された。 ここでいう「文晁」とは谷文晁のことで、同時代の円山応挙らとともに「徳川時代の三大家」に数えられる画家です。 文晁、応挙の時代は、数少ないまでも西洋画が日に入ってきた時代です。同時に

  • 1