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practiceに関するgitanezのブックマーク (18)

  • 真似からはじまる自己の再認識: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 かつて読んだはずなのですが、いま読み返しても感心してしまいます。 まず、自分の信義においてその対象が「当に大切なこと、あるいは価値があるもの」と思うのであれば、徹底的に模範として活用してみること。次に、ひとはどんなに他人のマネをしてもマネし切れない自分を発見するものです。そのギャップこそ他ではない自分自身です。そのとき初めて自分の真実を発見した瞬間と言えるのではないでしょうか。その後はその芽を試行錯誤しながら、育てていく中にだれもマネの出来ない独自性が出来上がってくるように思えます。 「独自性」というキーワードで書かれたものですが、まずは守・破・離や、真似から話を進められています。最近、自分でも「稽古不足 」や「型と形」、「型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ

  • 稽古不足: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 稽古の「稽」は「考える」という意味です。「古を考える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」が、漢語「稽古」の原義だといわれます。これは常に新しい時代よりも古い時代のほうが優れていたと保守的な考えをもつ中国ならではの姿勢だと感じます。 稽古の喪失ただ、常に古い時代のほうが優れているかはともかくとして、確実に過去のほうが優れていたこともあったはずで、それに学ばないのは単純にいって損じゃないかと思います。 とにかく、自分たちの現在が過去と陸続きであるという感覚をもてない人が多いのかなと思います。自分たちがどう考え、どう生きるのかということがいかに過去の恩恵を得ているかということに無神経なまでに鈍感です。 茂木 いま、われわれが持っている道具とか方法というのも、結局

    gitanez
    gitanez 2009/03/22
    恋はいつでも初舞台
  • 人間能力向上のための教育について: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日は「第2回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ」の反省会でした。 そこで話題にあがった内容をちょっと僕なりに展開。 話題になったのは「サービスが行き届きすぎている」という話。 何から何まで手助けしてくれ、人間が自分で考えて自分の力でやるという機会が減っているために、普段の生活のなかでいろんな人間的能力を向上する機会が失われているのではないかという話でした。「人的資源の生態学的問題」で書いた「地球資源の問題が社会的問題であるのと同様に、社会的レベルでの人的資源の不足という問題として社会生態学的に捉える必要があるのではないか」ということともつながる話。 どういうことか、いくつか例をあげるなら、 キーボードを叩いて変換すれば文章は書けるので、漢字が書けなくなった携帯

  • 方法依存症: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 方法論の収集ばかりに明け暮れている人を、仮に方法依存症と名づけてみたい。 方法依存症に値するもうひとつの条件は、方法論を収集している割にその方法を使ってうまくいったことがすくないということである。 これはもったいない。意欲があるのに空回りしてしまっているのだから。 そこで、このことについてちょっと考えてみた。 まず、そのことを考えていくにあたって、方法を区別してみる。 形式知化された方法と暗黙知的な方法に。 形式知的な方法:例えば、KJ法形式知化された方法とは、方法に含まれるタスクの内容が明文化でき、かつタスクを行う手順やプロセスが明記されているものをいう。逆に暗黙知的方法とはそうでないものを指している。 例えば、KJ法であれば、 最初に単位化された情報を書き込んだ束を作成

  • デクステリティ 巧みさとその発達/ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルンシュタイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 運動の巧みさについて書かれた一般向け科学書。だいぶ前に読んだですけど、ひとつ前のエントリーでアフォーダンスのことを書いて、読んだことを思い出しました。 このの著者であるベルンシュタインはロシアの生理学者。このは1940年ごろ書かれたと推測されていますが、著者の死後20年経ってようやく遺稿が発見され、英語版が出版されたのは1996年だといいます。日語版である書は2003年の発行です。 書の目標として、著者はまえがきに次の2つを挙げています。 巧みさという複雑な心理物理的能力を、できるかぎり厳密かつ詳細に定義し、分析すること動作の協調や、運動スキルや練習などの性質について、現在までわかっている知見を一般読者に向けて簡潔に解説すること 巧みであるかは別にしても、人間が

  • 大事なことはわかることじゃない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今月はぜんぜんブログが書けてないですね。まぁ、この忙しさじゃ仕方ない面がありますけど。 そんな忙しさのなかでも最近思ったことをすこし。 自分の能力を高めるためには、を読んだり、誰かに聞いたりして、すぐにわかってしまうより、わからないことに自分でこだわってみることのほうが大切なことなんだなーと思います。 わからないことにこだわり、自分でいろいろ試して経験するなかですこしずつわかることが増えてくる。そういうわかり方を大切にしたいな、と。 わかった気にならないわかりやすい言葉を読んだり聞いたりして、わかった気になることって簡単です。でも、そういうのってあんまり役に立たない。役に立たないものをどんどんわかった気になって蓄積しても、それこそ役に立ちません。 それにわかった気になって

  • ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(後編): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ウェブ人材として育つための3つの基姿勢について書かせてもらった「ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(前編)」に引き続き、この後編では、自分で育っていくための実践的な方法を5つばかりご紹介。 もちろん、僕が思う実践の方法ですので、これだけやっていればいいってもんじゃないでしょうし、中にはこういう方法が向かない人もいると思いますので、そのあたりはご了承を。あくまで僕自身の経験からいえる5つの方法だと考えていただき、真似してもいいかなと思う人だけ参考にしてくれるといいかなと思います。 Web人材として育つための5つの実践では、さっそく1つ1つ、実践的な「育ち方」を紹介していくことにします。 とりあえず5年間で300冊を目指そうウェブの情報を毎日せっせと収集するだけで、

  • あなたはオペレーターですか? デザイナーですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「大事なのはトータルな視点での創造する力であって部分的な方法ではない。」に、こんなコメントをもらいました。 グラフィックデザインの場合に限って言えば下積みの期間もなく簡単に線が引ける様になって、結構誰でも一人でコントロールできる工程が格段に増えました。 コントロールしようと思えば、どこまででもコントロールできるようになってしまっていて、今まで気にしていなかった部分まで気にしなくてはいけなくなったのでは? と思っています。 僕が「来身体から切り離せないはずのデザインという行為を、やたらと機械や方法論のほうに切り出してしまっていて、それゆえに全体が見えなくなってしまっている感はないでしょうか? 手で線を引いていた時代には見えていたものが見失われていて、ユーザー中心デザインなる

  • 「機を見るに敏」ってところが足りないよね: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕が他人を見ていて、よく感じるのは「反射神経が鈍いな」ということです。他人の話にパッと反応できないんですね。以前に「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」というエントリーも書いていますが、あまりに反応が鈍すぎて会話にならなかったりします。 反応が遅すぎない?会話の場面じゃなくてもそう。街を歩いていると、何か手に持っているのを落としても、「あっ」という、落ちた物をみる、しゃがむ、ひろう、というひとつひとつの動作がすごく緩慢な人をよく見かけます。電車やエレベーターの扉の出入りもそうだし、道を歩いてきた人をよけるのもそう。なんで、そんなに遅いの?って目を疑うことが少なくありません。 動きそのものが遅いというより反応が遅いんですね。他人や自分以外のものの反応が読めないというか

  • 不勉強さの自己検証: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 学ぶ必要があるのに学ぼうとしないこと。 覚える必要、できるようになる必要、理解する必要があるのに、そのための勉強を怠ること。 いや、人には怠っているつもりはなくても、を読んだりセミナーに顔を出したりするだけで自分は勉強しているというつもりになってしまうことはあるでしょう。 人はそんなつもりはなく、むしろ自分はやっていると思っているのに、結果として不勉強丸出しで、役に立たなかったり。 どうして、そんなギャップが生まれてしまうんでしょうか。 進んで実践に身を投じないといけないそれはテキストとして書かれた情報と実践の場にある情報にそもそもギャップがあるからです。テキストのうえの情報量と実践の場で起こることの情報量の圧倒的な差異に気づいていないのです。 たいていのひとは実践の

  • 自分がおもしろいと思うことをやって、もっと自分をアピールしましょう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分のことを認めてもらいたい。それはすくなからず誰もがもっている欲求なんだろうなと思います。 「フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛」でも引用したように、利他的に思える他人へのサービスも来、もうすこし利己的な面をもっており、<ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと考えるべき>なんだと思います。 「ふるまい」は自己の他者への自由をもたらしてきた。われわれはこれを社会生活における他人へのサービスだとおもいこんでいるけれど、そうではない。ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと

  • お能・老木の花/白洲正子: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕は、能を見たことはありません。 このを読もうと思ったのは、最近、能を見てみたいなと思いはじめたからです。能を見たいと思ったのは「「はかなさ」と日人―「無常」の日精神史/竹内整一」で紹介された能の謡曲の世界に興味をもったからでした。 お能がいつ、どこで、どうして発生したかと言うことは、おそらくだれにもはっきり言えないと思います。舞踊の歴史は人類とともに古いのです。お能はその長い長い舞踊史をつづるクサリの一部です。(中略)お能はこの多種多様のクサリのなかからいつのまにか生まれ出たのです。ただひとつはっきり言えるのは、「お能は純粋に民族的のところから発生した」ということだけです。 能の前身は猿楽だといわれることもありますが、実際にはさまざまな舞踊を取り込む形で、足利時代に

  • このブログ名について - 発声練習

    *このブログのエントリーのほとんどは常体(〜だ。〜である。)ですが、このエントリーは敬体(〜です。〜ます。)で書いてあります。 このブログにヒットする検索語のNo.1は「発声練習」です。辞書どおりの「発声練習」を検索していらっしゃった皆様、どうもすみません。このブログには辞書どおりの意味の「発声練習」についての記述はありません。まぎらわしいブログ名でごめんなさい。ちなみに検索語No.2は「発生練習」です。。ちょっと魔術チックなキーワード。何を「発生」させるための練習なのでしょう? ブログ名を「発声練習」にした理由は、このエントリーに書いてあることにほぼ近いです。 DESIGN IT! w/LOVE:頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない 他人と話をしているときに自分の考えをぱっと言葉でも絵でも示すことができなければ、どんなに素晴らしいことを考えていても伝

    このブログ名について - 発声練習
  • 「考えた」人たち: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 やっぱりアウトプットです。 「考える」こと、「アウトプットする」こと、そして、その基盤として必要なボキャブラリとそれを獲得するための訓練・練習について、一連のエントリで書いてきました。 頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない語彙が少ないと仕事の能率もわるい?好奇心とは独創的な問いを発見する情熱であるボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれないFw:当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)仕事のOS:語学力は反復とか記憶以前に感受性「考える」方法を学ぶ普通にできることのレベルをあげるための練習 自分でもこうやって書いていくと、まわりの人もそれについて参考になる話を書いてくれるので、より自分が

  • 普通にできることのレベルをあげるための練習:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「「考える」方法を学ぶ」に関する補足です。 物理的なアウトプットのすべてが必ずしも表現の結果だとは限りません。 物理的なアウトプットというと何か頭のなかにあるものを表現することだと思ってしまうかもしれませんが、僕は物理的なアウトプットが必ずしも表現だとは限らないと思っています。 いや、むしろ、身体を通じて物理的につくりだされるものの多くは表現ではないほうが多いはずです。身体は意識を媒介せずに実に多くのものをアウトプットしてくれるんだと思う。 それは表現技術ではなく、また違った身体能力で、「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」で引用した原研哉さんのクロッキーの話は、むしろそういう文脈で読まなくてはいけないんだと思います。 最初はや

  • クリエイティブな仕事とは?その方法とは?:DESIGN IT! w/LOVE

    それって当に「クリエィティビティが要求される仕事」のやり方なんでしょうか? 私などは、机に座っていて、PCの前に考えている時は、なかなか「クリエィティビティが要求される仕事」ができません。「真面目に仕事をしている時間」は、上記4つで生まれてきたアイデアを、最終的にまとめる作業、形にする作業をを行っているにしかすぎません。 アイデアを出すことと仕事の創造力を混同していませんか? 確かにアイデアを出すのに、机に座ってPCの前で考えるという環境は向いていないと思います。僕もアイデアが生まれるのは、慣れ親しんだ道を歩いているときやトイレに行ったときなどです。 「机の前に座ってやることばかりが仕事じゃない」というのはもっともなのですが、ただし、アイデアを出すのは決してクリエイティブな仕事ではありません。アイデアを出すのは単にクリエイティブな仕事のほんのごく一部でしかありません。 これまでになかった

  • 「自分の仕事をつくる」をつくるための5つの実践:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』を読んだことをきっかけに、「デザインとこれからの時代の経営課題についての一考察」や「丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイル」では、創造性を高める仕事の仕方についていろいろと考えてきました。 そんなことを考えながら普段仕事をしていて感じるのは、とにかく常に自分の外側を(企業単位なら会社の外側を)意識して、外へ外へと踏み出す試みを日々行っていなければ、自分の仕事をデザインし、つくりあげることもできないし、もちろん、その成果をデザインし生み出すこともできないなということです。 ようするに、「自分の仕事をつくる」をつくるためには、以下のような5つの実践が必要なのだろう、と考えています。 常に外部を意識し、異質なものと積極的に関わ

  • 反復練習が脳力を高める: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何かしらの知識を身につけ、自在に扱えるようにするには、反復的な練習が有効なことは今更いうことでもないでしょうか? でも、そうした反復練習そのものを自分の生活に意識的に取り込んでいる人はすくないような気がします。 反復を生活のなかに取り込む反復をするには、毎朝毎晩歯を磨くとか、1日何キロ走るとか、週に1冊はを読むとか、生活の中である程度は習慣化していかないと反復そのものが成り立ちにくいでしょう。 スポーツ選手の練習というのは、まさにこうした意味での反復ですよね。営業マンが1日の外出件数を決めて行動するのも同じような意味があるのかもしれません。そして、何より日々、ブログを書くことも反復練習を可能にする習慣化の1つの方法です。 前に「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ

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