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thinkとinformationに関するgitanezのブックマーク (5)

  • デザイン:情報を公開する技術: DESIGN IT! w/LOVE

    情報デザインとあえてカテゴライズをつくることで、逆にそのほかに何をデザインしているつもりなのか?と疑問を感じます。 情報以外に何をデザインしているつもりなのか? 先に「物に意味を与える仕事(思いやりをもって)」というエントリーで、 人の生活をなんらかの形で役だつ道具としての人工物と、それを利用する人のあいだをつなぐインターフェイスを設計するのがデザインの仕事です。このとき、インターフェイスには、人工物の内部機構と人間の頭のなかにつくられるモデルのあいだを取り持つ役割が与えられます。 と書きました。 インターフェイスとは、情報の意味をそれを扱う人間にあわせて束にしたものにほかなりません。先のエントリーにも書いたように、販売員やサービスマンなど、顧客に接する人の態度や説明、コミュニケーションなども、顧客がサービスに接するときのインターフェイスですし、上司が部下に指示する際の指示の仕方もインター

  • 解釈を代行するのが道具: DESIGN IT! w/LOVE

    コップを使うことは、水をいかに飲むべきか、飲むとはどういうことか、といった解釈を行為自体が代行する。「人工物を利用するものは、自ら改めていちいち問題解決に取り組む必要はなく、問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまうことができる」(村田純一、前掲書)のだから、道具は、人間の解釈の柔軟性を奪いかねない。 「人間がおこなわなければならない解釈を代行するのが道具」だとしたら、そこにはすでにマニュアル人間化の方向性が含まれています。道具を用いることで人間は「問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまう」というのは、まさに自分で考えて行動をすることなくマニュアルどおりでしか行動できないことへの道を開いているともいえます。 ここに、ものづくりをする人、文章を書く人、その他さまざまな形で他人にソリューションを提供する人の倫理観が求められる地点があるのではないでしょうか。 道具化

    gitanez
    gitanez 2009/07/03
    id:contractio それが大問題になるケースがあることは理解しますが、僕個人のケースとして、すみませんが興味ありませんし、村田純一さんから引いた「解釈」で特に問題を感じません
  • 思考のプロセスの4段階と作業空間の関係: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 まず、情報を扱う作業をするためには、ある程度のスペースが必要だということはKJ法をやったことがある人なら誰もが実感したことがあるのではないでしょうか。たとえば、A4の用紙に書かれた文章が10数ページもあれば、大きな模造紙2枚分くらいのスペースがないとKJ法はできません。 フィールドワークなどの定性的な調査で集めた手元の情報を、ある程度、人間が把握した上で有効に活用しようとすれば、PCモニター上のスペースではあまりに小さすぎます。情報をポストイットやカードに手書きで写すか、プリンターで出力してカード状にするかは別として、いったんは単位化した情報を大きなスペースに広げてみて全体を整理してみることが必要になります。 KJ法というのは、カードやポストイットなどの形で単位化した情報

  • 情報摂取の場・過程・作法をみなおす: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし前に書いた「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」というエントリーに、べええさんがトラックバックをくれました。 この変化には、以下の2点が看過できない点だと考えました。 1つ目に、アナログ情報をデジタル化したときに情報落ちが発生します。デジタル化が進めば進むほど、欠落する情報が多くなる事実があると考えています。 2つ目に、情報過多の現代では、アテンションの方に重点が移っており、情報自体の価値がおざなりになっている事実があると考えています。 僕は先のエントリーで「テキスト化された情報に接する比率が増え、まわりの環境も自然物よりも機械化、デジタル化されたものの比率が増えているいまの環境では、そうした自分自身の感覚の変化によって情報が変化したり、また対象物のほうも静止す

  • 感受性と行動力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 風邪をひきました。発熱と咳で月・火曜日はほとんど動けず、どうしても外せない仕事の所用に顔を出した程度。ほとんど寝て過ごしました。今日は熱も37度前半に下がってすこし楽になりました。 というわけで、外部からの風邪の菌の侵入に身を犯されるのはつらいですが、その一方で、僕らはもっと外部からの刺激を自分の身で引き受ける努力をしていかないといけないのでは、と思います。 まず、情報に対してよそよそしすぎてはいけない。 そして、インプットばかりでアウトプットがないといけない。 外部からの刺激を自分の身で引き受ける努力というのは、インプットの問題ではなくアウトプットのほうの問題です。受け入れるというのは実はいったん引き受けた情報を編集・変換して外に出す作業をいうのだと思います。 「なぜシャ

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