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workに関するgitanezのブックマーク (115)

  • 賢い人は働くけれど|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    働き方改革というけど、「働く」ってなんだろうね? 大好きなバタイユがこんなことを書いている。 人間は仕事をしなければ、飢えと寒さに委ねられるのだが、仕事をしなければならないこの昼間の世界ほど、夜の神聖さにそぐわないものはない。天の無数の星々は仕事などしない。利用に従属するようなことなど、何もしないのだ。 と。 これは『呪われた部分 有用性の限界』のなかの一節。 夜の空に輝く星々は「利用に従属する」ことはしない一方で、人間はみずからの利用の欲望を満たすために仕事をする。 バタイユは続けて、こう書いている。 しかし地球はすべての人間に労苦を求める。人間は終わることのない仕事のうちに疲れ果てる定めなのである。 これが定めだとすれば、働き方改革というのは可能なのだろうか?という気にもなる。 有用性を超えてしかし、バタイユはこうも言っている。 何の役にも立たないものは、価値のない卑しいものとみなされ

    賢い人は働くけれど|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2018/04/20
  • ワーク・シフト/リンダ・グラットン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ひさしぶりに書評記事を書いてみようと思います。 取り上げるのは、ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンが2025年をターゲットとして「働き方の未来」を考察した1冊『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』です。 とにかく必読だと思います。 このに関しては、すでに十分すぎるほど話題にはなっていますし、いろんな方が紹介&絶賛している1冊です。販売のほうも好調のようです。 ですので、あらためて僕が紹介するまでもないと思わなくもありません。 けれど、このが扱う「働き方の未来」というテーマに関しては、僕自身、積極的に考えたり、実践的に動いたりもしたいと思うと同時に、いろんな方と話をしていきたいと感じています。 だから、ここで書評記事とい

  • 働き方や社会的な価値に関する自分たちの頭のなかのイメージを変えていく: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ちょっと出遅れましたが、リンダ・グラットンの『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図』を読みはじめました。 何人かの方が良いだと書いているのをWeb上で見かけましたが、確かに良いです。 これは読んだほうがいいです。 いや、読まないとこの先の人生やばいと感じます。 「漫然と迎える未来」と「主体的に築く未来」サブタイトルに「孤独と貧困から自由になる働き方の未来図」なんてつけられていますが、このは未来思考の手法であるシナリオプランニングを使ってベースとなるシナリオが複数描かれるのですが、その未来のシナリオは、孤独で貧困人生が待ち受ける「漫然と迎える未来」と、自由で創造的な人生を迎えられる「主体的に築く未来」の2つの大きく分かれます。 シナリオプランニン

  • 「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 〈なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか〉と題されたダイヤモンド・オンラインに掲載の佐々木俊尚さんの記事がなかなか興味深かったです。 こんな感じで「会社組織の衰退」という話から「ノマド」についての考えを展開しています。 なぜ一部の若者が大企業を辞めたり、成長もしない社会起業系の小さなビジネスをやったりしているかと言うと、これは明らかに危機感の表れ。脱サラは確かにかっこいいかもしれません。でも、起業するモチベーションとしては、かっこいいことをやりたい、といった短絡的な理由ではなく、10年後、20年後の生活設計を考えることを自分なりにやっているわけですよね。(中略)今後、明らかに社会構造は変わると思っているんです。何年か、あるいは何十年かかるか、スパンは分からないですけ

  • 不安はなぜ起こるのか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん、どうも家のパソコンが壊れたらしい。ハードディスクは大丈夫そうだが、ディスプレイの部分になにかしら問題があるらしく表示ができない。 なのでブログに書きたいことはあるが、それはひとまず眠らせておいて、ケータイから書ける範囲のことを書いておこうと思います。 さて、昨日は木村さん主催のワークショップ「インフォグラフィックス ワークショップ 2」に参加してきました。めずらしく、というか、はじめて講師サイドではなく参加者サイドの立場で参戦。当はそのことについて書きたいのだけど、上記の理由により保留(書きました)。ここでは、そのワークショップの打ち上げの場で学生との会話をもとに考えたことをすこし書いておきたい。 学生と社会人きっかけとなったのは、ある学生からの「学生時代には何を

    gitanez
    gitanez 2009/11/15
     id:kabutch この程度で「マッチョ」ってどんだけ、ひ弱やねんw
  • 地域の力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いま読んでいる田中優子さんの『未来のための江戸学』は、僕のいまの大きな関心事である地域活性、地域ブランドという面でも、大いに考えさせられる1冊です。 そのなかには「地域の力」というキーワードも出てきて、その内容はとても共感するものです。 たとえば、こんな一文があります。 ゼミ合宿では佐渡と秋田に行く。江戸時代の日は各藩が特産品を持ち、経済も法律も自立していた。漁や農や流通や鉱物資源で独自の産業が発展し、武士たちもそれに尽力していた。漁で大金を稼ぐ者もおり、農村では優れた布や紙が生産されていた。そういう地域の力を知らなければ江戸を知ったことにはならない。 こうした事柄はすでに何冊か田中優子さんのを読んでいる僕にはすでに馴染みのあるものですし、ほかにも柳宗悦さんや日文化

  • 欲望を知る: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分が欲しいものがわかっているか。自分がやりたいことがわかるか。 このことが売れるものをつくること、ビジネスを成功させるうえでの最低限の条件ではないかと思うのだけど、どうだろう? ちゃんと自分の欲望に気づく感受性を養えているだろうか? 自分の欲望に気づく感性を持ち合わせていないのなら、他人の欲望を理解することがきわめてむずかしいはず。他人の欲望を解せず、他人にものを売ることは困難だろう。他人が欲するものをつくることはできないだろう。 自分の欲しいものがわかっているか。自分のやりたいことがわかっているか。 それができていないのなら、ものづくりはできない。ビジネスを創造することもできないだろう。 ものをつくり、売るための想像力が欠けているものを売ることから体験を売ることへ。そん

  • 遊ぶように仕事をする: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ワークショップという仕事の形式が流行っているのだろうか? あちこちでワークショップという言葉を耳にするようになった。 ただ、なんでもかんでもワークショップにすればいいというものでもない。 仕掛けのないワークショップほど、時間の無駄になるものはない。 また、ワークショップの仕掛けそのものにロジック的な破綻があると参加者の作業・思考は混乱するので、これまた無意味だ。 ここで無駄だとか、無意味だとかいっているのは、ワークショップが仕事にならない、学びの場にならないという意味だ。 仕掛けを企画し設計するワークショップを意味あるものにしようとすれば、それなりの企画と設計がいる。 ただ場所と時間をおさえて人を集めればよいというものではない。適当に作業のテーマを与えて、時間を区切って作業

  • 自分(の目)を見つめ直す: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 他人の良くないところというのはいくらでも目につく。それに対して文句をいうことも簡単だ。 良くないことというのは、自分でも簡単に再現することができるから、自分がやらずに我慢しているかもしれないことを他人がしているのを見ると文句をいいたくなるのだろう。いや、それ以前に単に自分のことは棚に上げて文句をいっているだけの人のほうが多いのかもしれない。 逆に他人の良いところを褒めるというのはむずかしい。褒める以前に他人の良さをみつけだせない場合が多いのではないか。 それはひとえに見る目がない証拠だ。自分で良いことをする努力をしたことがないと、他人が良いことをするためにどれだけ裏でがんばっているかがわからない。自分のなかで経験がないから他人の良さがみえないのだ。 良さを見抜く目が養われて

  • 楽しむための工夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 数日前に「おもしろいこと」というエントリーを書いた。 僕は基的に、結果はおもしろく、過程は楽しく、ということが仕事をするうえで大事なことだと思っている。 結果は自分だけでなく赤の他人がみてもおもしろく、それを為す過程は自分とおなじ仕事をともにする仲間が楽しくあるとよい。そう思っている。 もちろん、仕事なので辛いこともあれば、いやなこともある。 ただ、辛くても楽しい、いやなこともあれば楽しいこともあるという状態になるよう、自分で工夫しないといけない。辛いことやいやなことばかりであれば、仕事のモチベーションもあがらないだろうから、そこは自分で工夫して仕事が楽しくなるよう心掛けないといけない。 目標を定め、戦略を練る仕事を楽しくする工夫にはいくつかあると思っている。 1つには、

  • 応用力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 応用力が足りない。教科書通りにしか物事を進められない人が多いように思う。 対処すべきケースが教科書通りならなんとかできるが、教科書には書かれたのとは異なるケースに出くわすと途端に立ち往生もしくは出鱈目なアクションとなる。 世の中、教科書通りには事が運ばないケースの方が多いから、なかなか仕事が進まない。あるいは出鱈目なアクションで、それ、当に仕事したことになるの?と疑問に思うことも。 基を応用して、パーツとなる手法を組み合わせながら、問題を解くという創造力が書けている。そういう頭の使い方に慣れていないのかな、と。 基を理解すること応用力に欠ける要因のひとつは基が理解できていないことだと思う。ある問題を解くのになぜその方法を用いるのかということを理解せずに、ただ教科書に

  • おもしろいこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 おもしろいことやりてぇな。 オフィスの外の通路の片隅に設けられた喫煙スペースで、ニコニコしながら煙草をふかし、そう口癖のようにひとり言をつぶやいていたのは、前に勤めていた会社の社長でした。 僕は、その言葉をきくと、なんだか安心できたものです。 その言葉は何度も耳にしましたが、もちろん「おもしろいことってなんですか?」なんて野暮なことは訊ねたことはありません。訊いて答えの返ってくるようなことは、たぶん、耳にしてもおもしろくない気もしたからです。それよりも、その社長がおもしろいと思うことに協力できれば、と思えて、それが自分自身の仕事に対する安心につながったのだろうと思います。 おもしろいことをやりたい。 そのおなじ言葉をいまの会社の直属の上司の口からも耳にします。前の社長とおな

  • わからないことへの耐性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 世の中、全体的にわからないことへの耐性がきわめて低くなってしまっているのではないでしょうか。 自分の目の前に何らかのわからない対象が存在すると、無視するか、その対象を差し出した人に対して苦情をいうか、あるいは、わからない自分をただひたすらダメだとレッテルをはり殻に閉じこもってしまうか。いずれにしても、わからない対象をわかってやろうという姿勢が長く保てる人はいないし、すぐにわからないまでもいつかわかってやろうと心に留めておける人もすくないのではないかという気がしてなりません。 わかろうとする努力が著しく欠けている自分自身でわかりやすいものを求めてしまうだけでなく、相手に何かを提示する際にもわかりやすくすることを自分に課してしまう傾向があるような気がしています。わかりやすさに対

  • 間違いを犯すなら自分サイズで: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「早く多く間違えよう」へのブックマークありがとうございます。 今回はちょっと補足のエントリーを。 今回もそうですが、間違える云々について書くとき、間違えられる環境であればとか、間違えてもいい場合であれば、といった限定つきで、間違えながら学ぶことへの肯定の意思を示す人がいます。 間違いの粒の大きさでも、それは僕が考えていることの意図とはちょっと違うんです。 何が違うかって、そういう人がイメージする間違いは粒がデカすぎるんです。 そんな粒の大きさで間違ったら、そりゃ、ちょっとやばい場合もあるよねって思えるような間違いの大きさを想定しているように感じます。 でも、僕が「早く多く間違えよう」という場合に想定している間違いというのは、もっと小さな単位の間違いです。いや、些細なことすぎ

  • 早く多く間違えよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 土曜日のデザイン思考のワークショップで、また1つ気づきがありました。 それは「早く多く間違えると、進展は早い」ということです。 今回のワークショップでも、例によって2チームに分かれて、それぞれおなじ課題をやってもらいました。 大抵の場合、そうなるのですが、どういうわけか、2チームに分けると片方の出来がよく片方がわるいという結果になるんです。なぜだかわからないんですが、大抵はそういう結果になる(これが3チームだとそうならない。なんでだろ?)。 ところが、土曜日のワークショップでは、いままで以上に2チームの差が大きかったんです。それは片方がいままでと比べて著しく出来が悪かったからではなく、片方がこの手のワークショップをやって以来、はじめてというほど、出来がよかったからなんです。

  • 『デザイン思考の仕事術』感想をいただきました・6: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日のワークショップの帰り道、参加者のひとりのTakedaさんと、 正解することにこだわるがあまり間違いを恐れて手を動かせない人間違えてもいいから手を動かして自分の答えを出そうとする人 の2種類の人がいるね。そして前者と後者では自分でいろいろトライしてみるなかで気づきを得るということに関するスピード感がぜんぜん違いますよね、といったような話をしました。 いうまでもなく気づきのスピードがはやく、多くの気づきを得られるのは後者です。 昨日のワークショップでも、間違えることなど気にせず、どんどん積極的に手を動かしている人のほうがいろんな気づきを得ているというのが、講師としてみていてもよくわかって、「あっ、この人、いま気づいた」っていうのが手に取るようにわかっておもしろかったです。

  • 仕事術とは生きる術(すべ)のこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 仕事術―。 このことばを耳にすると、どうしてもビジネスの場での仕事ばかりを想起してしまう人が多いのではないかと思います。 しかも、仕事術ということばを、仕事を効率よく終わらせたり、ラクに金を儲けたり、企業組織のなかでつつがなく生きていくことを目的としたものだとイメージしてしまうことが多いのではないでしょうか。 生きることを支えているものに、仕事、家庭、コミュニティの3つがあるそうです。定年を迎えたサラリーマンが仕事がなくなった途端に亡くなってしまうということがあるといいます。家庭やコミュニティを犠牲にして仕事をしてきた結果、その唯一の生きる支えであったものを失い、命まで失ってしまうということなのでしょうか? でも、企業組織ではたらくことだけが仕事なのでしょうか。家庭内でも、

  • 仕事にデザイン思考を根付かせる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 次のテーマは、普通の仕事にデザイン思考を根付かせるということかな。 大きな組織の開発フローでもそうなのだろうけど、小さな組織でこそ、デザイン思考は取り入れやすいのではないかと思います。 いや、企業でなくてもいい。あらゆる仕事がデザインの仕事なのですから、地域に密着した何らかの組織でもいいし、病院や学校でもいいのだと思います。 仕事が変わる、仕事を変える人が生きる環境そのものを生態学的システムとして捉え、その環境のなかで問題発見+問題解決という当たり前のプロセスで仕事をすることがごくごく当たり前に、いろんな現場で行われるようになれば、いろんなことが変わってくるんじゃないでしょうか。 右に倣えではなく各地域の独自性を活かした地域活性による多様性の創出、クリエイティブなスキルをも

  • 物に意味を与える仕事(思いやりをもって): DESIGN IT! w/LOVE

    人の生活をなんらかの形で役だつ道具としての人工物と、それを利用する人のあいだをつなぐインターフェイスを設計するのがデザインの仕事です。このとき、インターフェイスには、人工物の内部機構と人間の頭のなかにつくられるモデルのあいだを取り持つ役割が与えられます。 とうぜん、そのインターフェイスを設計し実現可能にするのがデザインの仕事であるなら、その仕事をする人は、人工物の側の内部機構と人間の頭のなかのモデルの双方を同時に理解する必要があるでしょう。 もちろん、これはことばでいうほど、簡単なことではありません。特に「人間の頭のなかのモデル」は。 といっています。 もちろん、その場合、誰に対して意味を与えるか?が問題となります。 単純に考えるなら、それを利用するユーザーに対して意味を与える、という答えになるでしょう。 ただ、昨日の「プロジェクトの定義とデザインプロセス」というエントリーでも指摘したよう

  • ひらがなで、ほうほう。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 つくってはならべてひかくする。 つくってはならべてひかくする。 を繰り返す。 ただ、それだけのこと。 そのならべかたになまえがつく。 ひかくする方法になまえがつく。 ぺるそなだとか。ぷろとたいぷだとか。 あーだの、こーだの。 なまえ。なまえ。なまえ。 なまえなんか重要じゃないのに。 なまえがつくとうごきが止まってしまう。 かたまってしまう。 ならべてくらべてつくったとおもったら、くっついちゃって、 それをまたどうにか分けてならべる。 でも、ならべるとまたくっついちゃって 違うかたちになる。 それがたのしいのに。 なまえがそれをじゃまをする。 あー、またかたまってるよ。 固くなると最早動かない。 頭は働かない。 頭が動かない。 フリーズ。 あたまなんて、もともとつかうものじゃ