奥に入るとまだまだデザイン関係の本があり、カフェのカウンターで美味しい紅茶と和菓子をいただく。台湾の人が淹れるお茶はどれもおいしい。
![デザインの現場 小林章の「タイプディレクターの眼」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/54eff32cbec67087a89d7c297b7df8ca5afe5c62/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimage.excite.co.jp%2Fjp%2FappleIcon%2Fapp%2Fblog%2Fapple-touch-icon.png)
社会学的にどういう名前が付いているのか知らないのだけれど、 ある組織内の弱者と位置づけられる人たちが、体制側の論理を身につけて、または内面化して、自分を納得させることがある。 ひどい待遇で働いている非雇用者が、経営側から自分を見て、 コストを抑えるためには自分の時給換算の給料がこのへんに抑えられなければならないと納得している、とか 正社員の半分も生活の保証も手当もないバイトの人が、その人の生活を慮りもしないその組織の成果物の品質向上に邁進するとか 金を作り出す手段のない人が、そういう人を安く使って成り上がった成功者を礼賛したりとか。 本当は、「私は大変だ。虐げられている。搾取されている。寄越せ!」 と言っていいような人たちが、言わずに、体制側の理論を自分にインストールしてしまう。 これは一つには、クラスチェンジへの布石として行っているように見える。 資本主義社会において雇われである限り、ス
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