『無門関』第三十七則にある話です。一人の僧が趙州(じょうしゅう)和尚に問います。「如何(いか)なるか是(こ)れ祖師西来意(そしせいらいい)――達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か!」。それは言ってみれば禅を伝えるためです。 だから、この問いは「禅」とは、「仏」とは、「悟り」とは、という事です。 これに対して、趙州和尚は、「庭前の柏樹子」といい切ります。 「子」は助辞(じょじ)で意味はありません。「柏樹」とは、所謂(いわゆる)、日本の「かしわ」の樹ではなく、柏槙(びゃくしん)といわれるもので、無数に分かれた小枝の周囲に糸杉に似た葉が付き、繁茂力が強く、冬も夏も色を変える事なく、常に緑を誇り、幹は檜に似て赤く、縦じまが美しい樹です。趙州和尚の住した観音院は別名、柏林寺ともいわれ、柏樹が蒼々(そうそう)と繁っていたといわれます。そこでの問答です。 「如何なるか是れ祖師西