タグ

2014年10月30日のブックマーク (3件)

  • えっちした事を「喰った」と表現するのはどうなのか?

    誰かとえっちした事を「〇〇を喰った」と表現する男性が現在とりわけ散見される。 何が問題なのかというと、この表現は「〇〇という人間をべる」としてカニバリズムに当たる事である。 昨今のカニバリズムとして、日人はおかしな誤解をしている。 例えば、パリ人肉事件の佐川一政の件である。 端的に言えば、佐川は自分の彼女を捕的な意味合いで「喰った」わけである。 この「喰った」という表現は表現として至極適当である。 というのも昔「喰う」という表現は、例えば「人喰い鮫」のように人や物を文字通りべる、 すなわち「〇〇が人肉をべる」といった意味合いにきわめて近い。 しかしながら、現在の「喰った」はカニバリズム的な「喰った」という表現ではなく、 どちらかといえば、「ご飯をべた」と同種の表現であろう。 ここにニュアンスの違いを感じるのである。 この表現、おかしな所はないのだろうか。 この表現を目にする度に

    えっちした事を「喰った」と表現するのはどうなのか?
    go_kuma
    go_kuma 2014/10/30
    男はオオカミなのよ、っていう歌があってだな…喰うという表現は男をオオカミあるいはそれに類する肉食獣に例えたことから比喩として用いられるのだ。
  • 空自幹部「殺してやる」男性を線路に“投げ落とす”

    go_kuma
    go_kuma 2014/10/30
    線路に投げ落とされて無傷って猫か。
  • 絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記

    さて、はっきりいって、廃棄物放置場所と化しており、全く更新してなかったこの日記でありますが、 いしかわじゅん氏「安彦良和は動きがかけない」⇒安彦氏「アニメーターの僕に、動きが描けないだって?」(「王道の狗」白泉社版4巻から) こっちのエントリを読んで思う事があったので更新しときます。内容は「映像コンテンツにおける動き」です。 まあ、上記のエントリの話は、いしかわじゅんが「安彦良和は動きがかけない」って批判してるわけなんですけど、これねえ、 こっちでアニメーターの西澤晋が全く逆のこと言ってて面白いんですがね(ちなみにこのはとても良いで絵を勉強してる人なら一読の価値があります)。どんな話かってーと、このの野球のバッティングの4サイクルプロセスって話の所なんですが、引用しますが、 アニメの場合はすべての行程を描くことができますが、漫画はその中の一枚ないし二枚で動きを表現します。しかも、すべ

    絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記
    go_kuma
    go_kuma 2014/10/30
    自分は漫画描かないけど勉強になりました。