動画配信サービスのNetflix(ネットフリックス)で配信されているドラマ「新聞記者」が話題になっている。そのモデルとなっているのは、菅義偉・官房長官(当時)に食い下がった記者として知られる東京新聞社会部の望月衣塑子記者だ。これを機に新聞記者のリスク観や価値観(意図)と組織(新聞社)の関係、論理を、私自身の経験(1974年~2018年までの毎日新聞記者)から考えてみたい。 記事は記者1人で作るものではない そもそも記者はどこまで自由なのだろうか。一般には「記者は取材さえすれば、何でも書ける」というイメージをお持ちかもしれないが、そんなことは全くない。結論から言うと、記事は媒体組織(新聞社やテレビ、雑誌など)から出てくるものであって、一記者から出てくるものではないということだ。 具体的な例を挙げよう。かつて、市民から嫌われている遺伝子組み換え作物に関して、「農薬使用量が削減され、米国やスペイ
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