立川駅周辺は、新しいビル、マンションが建ち並び、その間をモノレールが走る未来的な風景の街だ。アニメの舞台にも使われるので、聖地巡礼のファンもたくさん集まるらしい。2018年の夏に私はアムステルダムに行ったが、そこで会った建築家が立川に行ったことがあり、驚いたと言っていた。あまりに未来的だったからである。 立川は、軍が航空部隊の基地とするため、立川村、砂川村で土地を買収し、大正11年(1922)に広さ45万坪の立川飛行場ができたのが近代都市化の始まりだ。飛行場は、昭和8年(1933)まで軍用としても民間飛行場としても利用される「東京国際空港」でもあった。その後、民間飛行機は羽田に移り、立川は軍専用となった。 軍によって発展する北口に対して、南口の開発は遅れていた。立川駅には昭和5年(1930)まで北口しかなかったのだ。今の南武線(旧・南武鉄道)が開通してから南口ができたのである。南武鉄道と地