2023年3月27日のブックマーク (2件)

  • 【慈悲にすぎる 忍性㊤】ハンセン病患者、生活困窮者救った鎌倉期の社会活動家

    忍性菩薩座像(極楽寺提供)鎌倉時代(13世紀)、奈良や鎌倉などを舞台に、ハンセン病患者や貧者らの救済活動を徹底して進めた律僧がいた。良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)(1217~1303年)。真言律宗総山の西大寺(奈良市)に学び、病院や療養所、投薬施設、動物病院など、多くの救済施設を開設して、社会的弱者の救援、経済的支援をしただけでなく、架橋や作道などの社会基盤整備、寺院の復興事業も手掛けた。西大寺を再興した師の叡尊(えいそん)から「慈悲にすぎた」と評せられ、死後には「菩薩号」が贈られた忍性。仏教の「興法利生(こうぼうりしょう)」(仏教を盛んにして、他者を救済する)に全身全霊を傾けた生涯だった。 ハンセン病患者を背負って奈良の北郊、なだらかな丘陵地に南北に細長い棟割り長屋があった。十八の小部屋と仏間からなる「北山十八間戸(じゅうはちけんこ)」。忍性が開設に関わったと伝えられる、ハンセ

    【慈悲にすぎる 忍性㊤】ハンセン病患者、生活困窮者救った鎌倉期の社会活動家
    godmother
    godmother 2023/03/27
    仏教の教えからか、人柄としてこのような社会福祉活動をされたのか、文面からは読めないが、ハンセン病と戦わず、病を受け入れ、貧者の救済に尽力した僧侶。
  • 叡尊 - Wikipedia

    叡尊(えいそん、えいぞん、旧字体:叡尊󠄁)は、鎌倉時代中期に活動した僧で、真言律宗を興した。字は思円(しえん、旧字体:思圓)。諡号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。興福寺の学僧・慶玄の子で、大和国添上郡箕田里(現・奈良県大和郡山市内)の生まれ。鎌倉仏教を代表する一人で、廃れかけていた戒律を復興し、衰退していた勝宝山西大寺(南都西大寺)を再興したことで知られる。 建保5年(ユリウス暦換算:以下同様:1217年) - 醍醐寺の阿闍梨・叡賢に師事して出家。 元仁元年(1224年) - 高野山に入り真言密教を学ぶ。 嘉禎元年(1235年) - 戒律の復興を志して西大寺宝塔院持斎僧となり、『四分律行事鈔』を学ぶ。 嘉禎2年(1236年) - 覚盛、円晴(えんせい)、有厳(うごん)らと東大寺で自誓受戒[* 1]。地頭の侵奪により西大寺が荒廃したために海龍王寺に移る。 暦仁元年(1238年) - 持戒の

    叡尊 - Wikipedia
    godmother
    godmother 2023/03/27
    寺の再建だけでなく、寺をマグマれない人々や、疫病で治療を受けられない貧乏人を救うための施設的な役割りができるようにした。福祉的な役割りをした僧侶。