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ドイツ各地の有名なオーケストラに所属する日本人音楽家の活躍は、ドイツに住む日本人を勇気付けてくれる存在ではないでしょうか。今回は、ゼンパーオーパー(ザクセン州立歌劇場)でたびたび見かけていた兵庫県出身の日本人バイオリニスト、島原早恵さんの登場です。 島原さんは4歳でバイオリンを始めて以来、将来はバイオリニストになるという具体的な夢を常に持ち続けていました。本人が「その情熱や自信がどこから来たのかは分からないけど」と振り返るほどの熱意は、その後、プロの道を邁まい進するのに必要な原動力。17歳で参加した米国のアスペン音楽祭で初めて外の世界に触れ、自分に足りないものを自覚したことがその後の音楽留学を目指すきっかけになりました。桐朋学園大学を卒業後、ミュンヘン国立音楽大学大学院に留学。著名なバイオリニストを数多く育てた名教授アナ・チュマチェンコ氏に運良く師事したことでヨーロッパの伝統奏法を学び、研
シュトゥットガルトの道端にたたずむ、ピンクの巨大な豚電車。看板には「豚博物館」と書いてあり、通り過ぎるたびに気になっていたのですが、やっと取材することができました。 ピンク色の大きな姿が目を引く、豚電車 中央駅からUバーンの9番に乗って「畜殺場(Schlachthof) 」という名の駅で降ります。半世紀ほど前まで畜殺場だったようですが、今は博物館になっているとのこと。例のピンクの豚電車の前を通り過ぎ、ユーゲントシュティールの建物に入ったら、レストランと博物館の入り口が並んでいました。 まずは博物館のほうへ。展示面積はなんと約1000平米。2階と3階のすべての部屋と屋根の真下の部屋にまで展示スペースがあって、実はここは世界一大きな豚博物館だそうです。それぞれの部屋ごとにテーマがあり、ある部屋では猪の歴史について、次の部屋では豚の絵本のコレクション、続く別の部屋では豚をモチーフにした装飾品、と
300 Jahre Maria Theresia マリア・テレジアは、どのような人物だったのだろうか? 面白いことに、ドイツ人に彼女のイメージを聞いてみると「ああ、フリードリヒ大王の遊び仲間(Spielkameradin)ね!」と即答。ドイツ人からすれば、「マリア・テレジアとの戦争は大王のお遊びよ」、つまり「楽勝」ということらしい。女帝と呼ばれたマリア・テレジアの生誕300周年を迎える今年、彼女の足跡をたどる旅に出てみよう。(本文:シュミット麻依) 「私は最期の日に至るまで、 誰よりも慈悲深い女王であり、 必ず正義を守る国母でありたい」 650年もの栄華を誇った名門ハプスブルク家には、どの時代にも個性的で有能な当主がいた。その数ある名君の中でもひときわ有名なのがマリア・テレジアである。史上唯一の女帝の誕生、それはオーストリア存亡の危機をまねくほどの苦難の道のりだった。 ヨーロッパで覇権争い
(デュッセルドルフ 2月1日)極右グループ「帝国市民」に対し警察は1月24日、国内5州で拠点の家宅捜索を行った。「帝国市民」とは「ドイツ帝国が今も継続している」との想定の下に、1937年当時の国境の有効性を主張するなど、間違った歴史観と極右思想危を喧伝しているグループで、警察、司法、およびマスメディアが同グループを危険視。 これまでは「一部のおかしな人たち」と認識されてきていた。しかし、2016年10月に、バイエルン州のゲオルゲンスミュントで、「帝国市民」のメンバーが警察に発砲する事件が発生。警察、司法、およびマスメディアが同グループを危険視するようになった。 連邦検察庁は昨年8月から、バーデン=ヴュルテンベルク州シュヴェッツィンゲンに住む、カール=ブルクハルト・Bを危険人物として監視。Bは「ケルトのドルイド僧」と名乗る極右グループを新たに結成し、同グループが警察やユダヤ教徒、難民などに対
(デュッセルドルフ 2月2日)菓子の値段が、ドイツでは欧州内で際立って低いことがマーケティングリサーチ会社の調査で明らかになった。これはニールセンの「欧州菓子価格バロメーター」によるもので、ドイツは欧州平均を下回り、もっとも高いノルウェーはドイツの2.5倍。 ハリボのグミやリッタースポーツのチョコレートなど、大手メーカーの人気菓子16品目の店頭価格を合計したところ、ドイツは20.87ユーロだった。これは欧州内でも平均賃金の低いブルガリアやルーマニア、ハンガリーよりも低い価格。欧州全体の平均は28.30ユーロで、スイスでは34.55ユーロ、デンマークでは37.28ユーロとこれを上回っており、最も高いノルウェーに至っては、50.31ユーロとドイツの2.5倍の価格だった。
ベルリンにある鉄道ターミナルの一つ、ズュートクロイツ駅のホームに立つと、青いイケアの買い物袋を持った人の姿によく出会う。この近くに大型家庭用品の店がいくつも並んでいるからだ。いつもは自分たちも通る買い物客の流れから外れて、今回は出口から反対側の道を行く。 プロイセン時代、この辺りには鉄道連隊の兵営があった。今も当時の建物が多く残り、道ばたに積もる黄色い落ち葉が赤レンガの建物によく映えている。5分ほど歩くと、ヴェルナー・フォス・ダム54番地の建物が見えてきた。地下に続く階段を下りて行くと、特有のかびたにおいが鼻につく。ここはヒトラーが政権を取った1933年の3月から12月までの間に、約2000人が拘留された監獄跡。 ナチスによる恐怖政治の原点を今に伝えるパーペ通りのSA監獄跡 歴史に興味があっても、進んで足を運びたい場所ではない。それでも今回行ってみようと思ったのは、当時ここに拘留されたユダ
地下鉄のローゼンターラー広場駅から北東の方向へ小高い丘を上っていくと、高い尖塔を持つシオン教会が見えてきます。近年家賃の高騰が進み、それに伴い街並みも洗練されていく傾向にあるこの周辺の中で、シオン教会は今も古めかしい趣を残しています。 現在ここで「アナーキーと地下の部屋(夢) Anarchie und Keller(t)räume」という展覧会が行われています。シオン教会は、1989年のベルリンの壁崩壊へと続く「平和革命」の歴史において重要な役割を果たした場所です。ちょうど30年前の1986年9月2日、東ベルリンで「環境図書館Umwelt-Bibliothek」という反体制組織が設立されました。当時の東ドイツでは深刻な環境汚染が進んでいましたが、ドイツ社会主義統一党の当局はこの問題や、その数カ月前に起きたチェルノブイリ原発事故を公の議論に持ち込むことを容認しませんでした。そんな中、シオン教
ライプツィヒはバッハ、モーツァルト、メンデルスゾーンなど名だたる音楽家が活躍した都市として有名です。彼らの功績をたたえて、市内にはそれぞれの偉人にちなんだ博物館やそれらをつなぐプロジェクト「ライプツィヒ音楽軌道」(Leipziger Notenspur)(本誌948号で紹介)があります。 その中でも特に重要とされているのが、バッハ資料財団の活動です。この財団は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)没後200年の1950年に、音楽研究家ウェルナー・ノイマンにより設立されました。バッハの生涯と業績を紹介するバッハ博物館、バッハにちなんだ研究文書を保管しているライブラリー、バッハ音楽祭、バッハ国際コンクールを運営しています。 バッハ博物館 (Bach-Museum) 特に毎年、キリスト昇天祭(復活祭から40日後、5月または6月)に開催されるバッハ音楽祭は、トーマス教会、バッハ博物
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