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ブックマーク / tokyodeep.info (3)

  • 【ウリナラ起源】埼玉県日高市に古代朝鮮渡来人の街「高麗郷」があった! - 東京DEEP案内

    古代高句麗の民が開拓して生まれた高麗郡をはじめとする埼玉県西部を中心に、朝鮮由来の地名がいくつも存在するという主張もある。例えば「飯能」は韓国語で「韓の国」「偉大なる土地」などと意味する「ハンナラ」が訛ったものだという説だ。ホンマかいなと思うのだが、飯能市役所のホームページを見ても一切記述がなかったりするので、この話は眉唾物だw 東京から40キロ北西に離れた埼玉県日高市に古代朝鮮人が切り開いた里があるという。西暦668年、朝鮮半島の国家・高句麗が滅亡する際、朝鮮半島から逃れた王族や難民が住み着いたのが武蔵国高麗郡、現在の埼玉県日高市と飯能市にまたがる原野だったと言われている。 その名残りが今も地名に残る日高市の高麗と言う所に、わざわざ西武池袋線に1時間も揺られてやってきた。終点の飯能からさらに秩父線に乗って来なければならない、埼玉県西部の東京通勤圏ではギリギリ西限に当たる場所だ。 で、駅を

    【ウリナラ起源】埼玉県日高市に古代朝鮮渡来人の街「高麗郷」があった! - 東京DEEP案内
  • ドヤ街「山谷」の歩き方 (1) 振り返れば泪橋 - 東京DEEP案内

    大阪の西成釜ヶ崎と並んで日を代表する日雇い労働者の街、山谷。 東京DEEP案内ではこの街を度々訪問しては街の様子を眺めてきた。 山谷の歴史は江戸時代より始まる。当時江戸の外れにあったこの土地に、都心から退けられてきた吉原遊郭や投げ込み寺(浄閑寺)、小塚原刑場などといった今どきで言う所の「嫌悪施設」が集められ、その流れで日光街道に沿ったこの土地にも最下層の木賃宿も集められた。 それが戦後の高度経済成長期に入り地方からの労働者が大量に流入、現在のような「ドヤ街」へと変貌した。 現在は住居表示制度により「山谷」という地名は存在しない。台東区日堤、清川、東浅草、橋場、荒川区南千住に跨る区域に簡易宿泊所が密集するドヤ街が形成されている。 最寄り駅は南千住駅。いつの間にか大規模マンション街と化し何も知らないリア充ファミリーが大挙する浮ついた街並みに変わった汐入地区とは打って変わって、常磐線を跨ぐ

  • 飛び地「練馬区西大泉町1179番地」 - 東京DEEP案内

    飛び地...それはある種のマニアにとっては土地の歴史や成り立ちを想像させる、ロマンを感じる存在。決して大阪の飛田新地のことではない。 世界中のどこにでも国境はあるし、また日の中にも廃藩置県の時代から行政区画が存在し、各々の土地の歴史を示してきた中で、都道府県の間の境界線を越えた向こうにぽっかりと孤島のように土地が残るという奇妙な地区がいまだに残っている。 自治体まるごと都道府県の飛び地という和歌山県北山村を代表例に、それは全国各地に点在しているわけだが、この東京23区にも、周りを埼玉県に取り囲まれた東京都の飛び地というものが実在している。 それが埼玉県新座市片山三丁目16に存在する「東京都練馬区西大泉町」なのだが、わざわざその飛び地を見るためだけに西武池袋線大泉学園駅からバスに乗り継いで、やってきましたよ。 東京23区でもっとも農地面積が広い練馬区。埼玉県境に近い大泉までやってくると至る

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