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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (6)

  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
    gogatsu26
    gogatsu26 2016/09/10
    “…動しない」「黙っていて言われたことしかしない」は、甘やかされた子供だけでなく、虐待された子供の特徴でもある。自分の判断能力を否定されて育った子供は、このような行動パターンを身に付けるようになる。”
  • 「子離れ」とは、親の期待を跳ね除ける子供に逆ギレすることではない - yuhka-unoの日記

    SYNODOS JOURNAL : 新春暴論 ――「幸福」な若者を見限ろう 山口浩 私は過去に『いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる』『若者は何も言わず、ただ去るのみ』という一連の記事の中で、今の日社会は機能不全家庭の構造と共通していて、機能不全社会だということを述べたが、こちらの記事の内容は、まさに機能不全家庭の親の思考回路そのもので、非常に興味深かった。あくまでも「暴論」だそうなので、ここはひとつ「ネタにマジレス」してみようと思う。 曰く、年輩者による若者論は、都合のよい批判対象である若者を使った自分語りであると。若者を心配するふりをしながら、実際には不安なのは彼ら年輩者であり、閉塞感が蔓延する現在の状況がさらに進んだとしても、困るのも彼ら自身ではないか、と。何せ自分たち若者は、ニコ動とモバゲーと、あとは日々える程度の収入と仲間がいれば幸福と感じることができる

    「子離れ」とは、親の期待を跳ね除ける子供に逆ギレすることではない - yuhka-unoの日記
    gogatsu26
    gogatsu26 2012/01/12
    "年長者の若者に対する「立ち上がれ」という期待が、本当は若者自身のためではなく、若者の気持ちを無視して「俺たちのために立ち上がってくれよ!」と言っているだけの、極めて無責任な期待に過ぎないからだ"
  • 甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち - yuhka-unoの日記

    子供に与えなさすぎる親というのが、子供にとって快適ではないということは、多くの人が納得するところだろう。ネグレクト(育児放棄)というやつである。しかし、子供に与えすぎる親というのもまた、子供にとって快適ではないケースが多いというのは、あまり知られていないことだ。「過保護なのは確かに子供の成長にはマイナスだが、当の子供にとっては快適なこと。親元にいるのがあまりにも快適すぎて、そこから抜け出せなくなるから、自立心が養われない」―そのように考える人が多い。 しかし、与えすぎる人というのは、ありがた迷惑なことが多いのだ。例えば、こちらが「いえ、もう結構です。もう満腹なんです」と言っても、「そんなこと言わずに、ほらほら」と、どんどんべ物や飲み物を勧めて来る人。こういう人は、こちらがやんわりと断っているうちは進めるのをやめてくれず、とうとう強い口調でぴしゃりと断らなければならない段階になってやっとや

    甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち - yuhka-unoの日記
  • ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記

    .@nucco 例えば、子どもが、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んでいると安心するけれど、DSの画面を見つめてひたすら黙っているという場面を見ると、なんか不安になるというのは、見守る側の大人の素朴な感情としては、どうしてもあると思うんですよ。そこをどうしたらいいんだろう、というか。 http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-216.html たぶん、このDSで遊んでいる子供に対する不安感というのは、一見して何をしているのかわからないという不安感なのだろう。缶蹴りや鬼ごっこなら、子供がどういうルールや世界観の下で、何を考えながら行動しているのかが一見してわかる。しかし、これがゲーム機だと、そういった世界観や思考というものは、画面の中と子供の脳内に存在しているものであり、一見して何をしているのかがわからない。もっとも、この手のゲーム機で遊んだ経験のある最近の親なら

    ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記
  • 善意が暴力に変わるとき―伊達直人騒動について― - yuhka-unoの日記

    Togetter - 「「伊藤直人」に違和感を感じてしまった元入所者のpostまとめ」 http://togetter.com/li/88205 実は、前回の記事『甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち』を書いたのは、昨今起こっている伊達直人関連の騒動があったからだ。親からの好意を受け取ることを強要されてきた私は、一連の伊達直人騒動にずっと違和感を抱いていた。上の元児童養護施設入所者の人の意見はもっともだと思う。 「人の善意に対して素直になれ」みたいなこと言ってる人がいるけど…「素直になれ」って、どういう意味なんだろう。私が父から趣味じゃない服を貰った時の素直な気持ちは「これ着たくない」だった。元入所者の人の意見も、実に素直な気持ちだと思う。でも、その素直な気持ちを言ったら「素直じゃない」「素直になれ」と言われる。「素直になれ」ってどういう意味だ?もし「いらない」「欲しくない」

    善意が暴力に変わるとき―伊達直人騒動について― - yuhka-unoの日記
    gogatsu26
    gogatsu26 2011/09/07
  • 味方を装ったいじめっ子 - yuhka-unoの日記

    いじめの構造の中でよく見られることの一つに、直接明確な悪意を持っていじめて来る人間の他に、「私はあなたの味方よ」というポーズを取ってやって来るいじめっ子がいる。こういうタイプは明確で直接的ないじめっ子よりタチが悪い。人はあくまでも善意のつもりで、自分の迷惑性を欠片も疑わず、迷惑性を指摘すると途端に逆ギレして手の平を返し、罵倒する側に回るからだ。 味方を装ったいじめっ子は、初期段階では、直接いじめるでもなく、いじめを止めようとするでもない、「その他大勢」であることが多い。一見いじめられている人間に友好的に振舞うが、人の前では友好的に振舞っておいて、陰で噂を広めたりする。人から情報を聞き出し、聞き出した情報を噂仲間に広めて「情報通」ぶることが目的だ。 噂を広める人は、他人をいじめられる状況に追い込むだけ追い込んでおいて、いじめに遭っているその瞬間に助けるようなことは絶対にしない。それで「

    味方を装ったいじめっ子 - yuhka-unoの日記
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