ブックマーク / www.1101.com (5)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 社長に学べ!

    ええ。 開発の責任者みたいになって、 なんとなく名刺には課長と書いてあって、 それが開発部長になったみたいなところです。 最初はそういう 「岩田くん」という若者だったんですね。 そんなうちに、 「岩田っていうものがおるんや」と、 任天堂の上層部の知るところにまで 入っていくわけですか。 たとえば昔、 ブラインドタッチでタイピングをする人って、 少なかったんです。 それでわたしが任天堂に プログラムのしあげでくるじゃないですか。 機械をガーッとたたいていると 「ものすごいスピードでタイプする」 ということが、 まるで見せもののようになるんです。 いろんな人がいれかわりたちかわり 部屋にやってきては 「ほんとだ、はやい」といって帰っていくんです。 そういう時代でした(笑)。

  • 『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会

    こどもたちが夕の時間が来たからと帰ってしまったとき、 この秘密基地は、ただの暗闇に溶けこんでしまうんだ。 <ルイージの詩集より>

  • ほぼ日刊イトイ新聞

    ・「自分の目のなかに丸太があるのに、 他の人たちの目の中のおが屑ばかりを見る」 というのは聖書のなかにあることばですが、 あっちでもこっちでも、思い当たるようなことですよね。 あいつも、あいつもそうだよなぁと思いあたるし、 そしてさらに、じぶんにもそういうところがある。 じぶんの悪いところは棚上げして、他人を責める。 このことについて、かつて吉隆明さんはこう言いました。 「自分もそうなんですよ。 自分もそうだってことは誰でもそうだってこと、 誰でもそうだってことは、人間は誰でもおなじだよ、 という意味ではなくて、 人間性というものの中に根ざしているものは、 誰もおんなじものがあるのですよ、ということなんです」 ややまわりくどい言い方かもしれないけれど、 いまあらためて、ぼく流にまとめれば、 「人間というものの性質が、そういうものなんだよ」 ということになります。 そして、その「人間という

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  • 「また会おう」岩田聡さんへ ほぼ日刊イトイ新聞 - postman@1101.comから。

    2015年7月11日、 任天堂社長で「ほぼ日」の電脳部長、 岩田聡さんが、逝去されました。 「ほぼ日」ができる時から関わってくださり、 何度もコンテンツにご登場いただき、 ずっと、陰に表に、 「ほぼ日」を支え続けてくださいました。 公式の発表があってから、 「ほぼ日」にはたくさんの メールが届き続けています。 その日の「今日のダーリン」とともに、 ほんの一部ですが、 みなさんのメールをご紹介いたします。 ・どんな別れのときにでも、 「また会おう」と言えばいいのだと思う。 ともだちだから、また、会う。 それはちっともおかしくない。 うん。また会おうや。 ずいぶんと遠くまで旅に行くんだって。 もっとずっと先の予定だったのにね。 いちばん似あう服を着て、 「急のことですみません」と、 ことばには出さないけれど、そう言ってた。 じぶんのことは、なんでも後回しにして、 ずっといつも、だれかの助けにな

  • 岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    創刊当時より、ほぼ日刊イトイ新聞にいろんなかたちで関わってくださった岩田聡さんが、7月11日、永眠されました。岩田さんがご登場くださったたくさんのコンテンツを、いま、読みたい方も多いかと思いますので、代表的なものをまとめました。ご冥福をおいのりいたします。

    岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
    gogochephy
    gogochephy 2015/07/13
    政治屋として優秀で経営者に上り詰めたのではない、純粋に思考力で経営者になった稀有な存在。経営者なんて、ほとんどが代替可能だけど、岩田さんは唯一無二だった。惜しい人をなくした
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