1979年のアカデミー賞で視覚効果賞を受賞した『エイリアン』。たしかに視覚的なインパクトは絶大だったが、この映画が30年たった今でも、SF・ホラー映画史に残る傑作として古びていないのは、そこに強力な物語があったためでもある。 そんな『エイリアン』の物語は、追い詰められたひとりのSFファンの、孤独な夢想から生まれた。彼の名前はダン・オバノン。29歳、無職、無一文で、住む家も車もなく、友人の家のソファで寝起きし、SF映画の脚本を売ることで、そんな生活から抜け出すことを夢見ていた......。 1946年生まれのダン・オバノンは、南カリフォルニア大学の映画学部でジョン・カーペンターと出会って意気投合。カーペンターの卒業制作から始まった(のちに商業映画に格上げされた)宇宙SF『ダーク・スター』(1974年)で、脚本を書き、視覚効果を一手に手がけ、重要な役で出演する八面六臂の活躍を見せた。 卒業後は
自分の世代(1962年生まれ)が、日本映画と最初に出会ったのは、ゴジラ映画だったはずだ。筆者は、池袋や浅草の名画座で東宝の特撮映画一挙上映を追ううちに、黒澤明一挙上映へと手を伸ばした。だから、映画の観方がものすごく歪んでいる。 たとえば「音響・三繩一郎」みたいにゴジラ映画でおなじみのスタッフ名や、大村千吉などの東宝の大部屋俳優の顔を見つけて喜んだりする。怪獣少年にとっては、志村喬はどんな役を演じても古生物学者の山根博士であり、根岸明美は『キングコング対ゴジラ』でヤシの実ブラで踊っていたファロ島のお姉さんであり続ける。 だから『生きものの記録』(55年)を観た時は、もうゴジラ映画と印象がごっちゃになってしょうがなかった。何しろオープニングクレジットの音楽からして、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のオープニングと同じテルミンみたいなホワホワ音なんだから。 志村喬は歯医者で、家庭裁
<『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』はフランスの匂いがした。> いや、正確には、思春期になって60年代のフランス映画、特にヌーヴェル・ヴァーグの映画群を観始めてから、「これと似たものを幼い頃に見た」と感じたのだ。 たとえば、レンズ・フレア。太陽など強烈な光源を直接カメラが撮った時、レンズに入った光が再反射して、絞りの形である6角形の光をフィルムに焼きつける。 筆者が生まれて初めて、このレンズ・フレアを意識したのは、たしか『ウルトラマン』の「故郷は地球」のエンディングだ。フランスの宇宙飛行士ジャミラが国家間の威信をかけた競争の犠牲となり、密かに葬られた後、英雄として祭られる。そしてイデ隊員は「犠牲者はいつもこうだ」と視聴者に向かって怒りを吐き出す。彼の表情は逆光で真っ黒につぶれて見えない。そこにはジャミラの顔、視聴者の顔、ドラマの作り手の顔、何でもあてはめることができるだろう。その時、6角
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