ブックマーク / kotobasm.hatenablog.jp (91)

  • 評価などどうでもいい目の前の敵を倒しつづけ愛する人を救うのみ【カラテカ】 - 昭和KOTOBASM

    ”ファミコン”ことファミリーコンピューターは1983年に発売され、またたく間に当時の子どもたちに広まっていった。ゲームセンターで小銭を入れてやっていたゲームもカセットを買ってしまえば、何回でもできる。夢のようなハードだった。 ただ無数に発売されたファミコンのカセットのなかには、つまらないゲームいわゆる”クソゲー”なるものも多く存在する。「たけしの挑戦状」「バンゲリングベイ」「スペランカー」など思い出すだけでもそれはたくさん存在する。 その”クソゲー”のひとつに「カラテカ」がある。最初はアメリカのapple2のソフトとして開発され、その後ファミコンソフトになった。つまり元は、意外なことにアメリカゲームだったのである。 そしてこのゲームをやったことがある子なら、みんなやったであろうこのお約束。そもそもなぜにわざわざ、このような崖を背にしてスタートするのか。謎であった。だがその謎はapple2

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  • 今回の品薄で浮上した謎【ポテトチップス】 - 昭和KOTOBASM

    きょうコンビニをのぞいてみたら、お菓子売り場にポテトチップスがけっこうならんでいた。去年の台風による天候不順の影響で一時期姿を消していたが、少しづつ復活してきたようだ。 しかしポテトチップスというのは、いつのまにこんなに幅を利かすようになったのであろう。小さいころはそれほどメジャーではなかった気がするのだが。調べたらまず1967年、量産化に成功したのが湖池屋だった。 そして1975年にカルビーがポテトチップスを販売した。いわゆる中興の祖というヤツである。さらに1976年にナビスコのチップスターが販売される。ここらへんでポテトチップスの地位が確立されたといっていいだろう。 ところでみなさんは気づいたであろうか。湖池屋やカルビーの袋入りポテトチップスが品薄になっているなか、チップスターやプリングルズといった、いわゆる筒形のパッケージのポテトチップスはいつもどおり売られていたのを。 ちなみに袋入

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  • ビューティフル・ヨコハマ【タブレット純「音楽の黄金時代」】 - 昭和KOTOBASM

    今回のタブレット純「音楽の黄金時代」のテーマは、”ご当地ソング”ということなのだが、ご当地ソングというと、関東においてはもう圧倒的に横浜が多い。東京はともかくとして、他の5県は量でいったら束になっても敵わないのであった。 千葉県出身者としては悔しい現実である。ご当地ソングが多くなる理由とはなんなのか。一つはやはり”港があること”。もう一つは戦後あたりから”街の灯りがきらびやか”であることなのだろう。こうなると関東では横浜に敵うところは皆無なのであった。 しかし数があるということは、それだけあまりヒットしない曲というのもあるわけで、今回流れていた平山三紀(現・みき)のデビュー曲「ビューティフル・ヨコハマ」もそのうちのひとつだ。 たださすがタブレット純さんの選曲だけあって名曲だ。作詞は橋淳、作曲は筒美京平。なるほど道理で。平山みきはその次の「真夏の出来事」が大ヒットしたが、もしこのヒットがな

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  • ああ小仏トンネル【ラジオの交通情報】 - 昭和KOTOBASM

    私事ではあるが、巷ではゴールデンウイークであっても、仕事の性格上、連休が存在しない。それでも期間中独自の楽しみというのが存在する。それが休憩中にラジオを聴くことなのである。 ラジオをよく聴くヒトなら知っているであろう。よく番組の合間なんかに流れる道路交通情報の存在を。これを週末や連休中などに聞くのである。仕事だという日に。なにが楽しいのかって? 渋滞の情報である。その渋滞の距離が長ければ長いほど、”やーいざまみろ♪”という気持ちになるのであった。そのような渋滞の情報でよく出てくる場所のひとつに小仏トンネルがある。 小仏トンネルは東京の八王子と神奈川の相模原の間にある。ここは週末ともなるとよく渋滞になるのであった。今日の19時にも渋滞が20㎞といっていた。ここを通るのはたいてい遊びに行っているヤツだろうから、同情の余地すらない。 というのは冗談であるが、どうか最後のお休みの日ぐらいは、のんび

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  • 「あたりまえ」それはバカを嘲笑するための大義名分【祭りクジ】 - 昭和KOTOBASM

    街のお祭りには出店がつきものだ。ベビーカステラとか、それにベビーカステラとか、はたまたベビーカステラとか。そのような出店のなかに、くじ引きというのもある。いくばくかのお金を払ってクジに当たると高価な景品があたるというアレだ。 子どものころに、親から教わらなかっただろうか。出店にいるヒトというのはテキ屋といって、いわゆる”カタギのヒトではないヒト”である的なことを。そこからわれわれはああいうクジがインチキであると察するわけだ。 その”インチキ”をわざわざ大金を払って証明しようとする酔狂なヒトがあらわれた。ヒカルさんというユーチューバーだ。ユーチューバー、日々進化している。どう進化しているのかは、メンデルではないので証明はできないけれども。 クジの出店のおっさんもまさかこんなヒトが現れるとは思いもよらなかったであろう。このようなクジなんて、だいたいのヒトがインチキだとわかっている。ただごく一部

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  • 最下位千葉ロッテマリーンズをめぐるバカじゃないかという感じの3つのたわ言【マリーンズナウ】 - 昭和KOTOBASM

    わが千葉ロッテマリーンズがただいま最下位にあえいでいる。とくにチーム打率が2割に満たないという最悪の事態をむかえている。かといって投手陣のほうもお世辞にも好成績とはいえない状況だ。まあだから最下位になっているわけだが。 それでもって、mixiにおいて千葉ロッテマリーンズのコミュニティに入っているのだが、そこにいる一部の人たちの物言いが、あまりにも馬鹿げていて正直な話、辟易している。なのでああいう閉鎖的なところでああだこうだ言うよりブログで書く事にした。 彼らをみていると、マリーンズは好きだけど、”サポーター”などといわれている人たちとは意見の共有なんてできないなとかんじるのであった。そもそも球場に観にいくときは”サポーター”のいる外野席ではなく、いつも内野席に座るのだが。 野球を球場で観ているときぐらい、ハンバーガーでもパクつきながらみたいわけだし。(横浜スタジアムに限っては泉平のおいなり

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  • こーちゃのおいしー!きっさてん!【素人ものまね番組】 - 昭和KOTOBASM

    子どものころに観ていたテレビ番組と、いまのテレビ番組とで変わったなとおもうのが、いまはずいぶん視聴者参加型の番組が減ったなあということだ。クイズ番組もいまや芸能人ばかりだ。 ゴリ押しという言葉があるが、もはや芸能事務所ぜんぶがぜんぶゴリ押しするものだから、素人の出る幕がなくなったということなのだろう。かといってじゃあプロばかりでテレビ番組そのものが成熟したのかどうかは疑問だが。 子どものころに好きでよくみていたテレビ番組のひとつに、ものまね番組がある。ものまね番組のタイプには大きく分けて2つある。芸能人が出るタイプと、素人が出るタイプである。 どちらも番組改編期にスペシャル番組としてよく放送されていた。小学生ぐらいのときの素人ものまねというのは、似ているかどうかよりは、いきおい勝負なところがあった。 いちばん印象に残っているのが、フジテレビ「とび出せものまね大作戦」という番組で柏原芳恵の「

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  • このようなところにも戦隊ヒーローはやってくる【スーパーマーケット】 - 昭和KOTOBASM

    自分も含めてゴールデンウイークだというのに、どこにも行けないニンゲンというのは存在する。まあ自分なんかは独り者であるし、まったく連休がないので、ゴールデンウイークであろうがなかろうが、たまの休みは疲れて家で寝ているわけだ。 だが保育園や学校が休みなのに、親御さんの仕事の都合などで、どこにも出かけられない子もいる。そういうばあい、どうすればいいのか。一つの選択肢に、どっちかの親にショッピングセンターに連れていってもらうという手がある。 藤沢にも大型のスーパーマーケットというのがあって、いろんなイベントがやっていたりする。親御さんのほうも、料などの買い物には行かないといけないわけだし、お出かけも兼ねられて一挙両得というものである。 イベントにもいろいろあるわけだが、よくやっているのがヒーローショーなのである。後楽園ゆうえんちだけではないのだ。ヒーローはどこにでも現れる。外の皮の数だけヒーロー

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  • 弟よアニキにたいしてなんて失礼なことをいうのだ【デパートの催物の思い出】 - 昭和KOTOBASM

    世はゴールデンウイーク。なかには海外旅行に連れていってもらうお子さんなんかもいるようだ。しかしもちろんそういう子ばかりではない。親御さんの都合により、家族でどこか出かけることすらままならない子だっている。 それは仕事の都合であったり、経済的な理由であったりさまざまであろう。そういった中にあっても、それぞれ工夫をして、子どもたちの思い出に残る休日を作ろうとしているヒトもいる。 あれはいつだったか。まだ保育園児だったころだ。母親に連れられて、デパートの催物に行ったことがある。水木一郎ショー。新聞の折り込みチラシでみて、行きたいと必死にせがんだ甲斐があった。 アニキこと水木一郎。大好きで観ていたアニメや特撮ドラマの主題歌は、いつだってアニキが歌っていた。そしてNHKの「おかあさんといっしょ」の歌のおにいさんでもあった。これもよく観ていた。 そして当日。年子である弟がいるのだが、彼はあまり興味がな

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  • 君は”暴走戦士”をみたか【ザ・ロードウォリアーズ】 - 昭和KOTOBASM

    彼らをはじめて観たのは、テレビ東京でやっていた「世界のプロレス」という番組だった。まだ日に来る前で、海の向こうでの暴れっぷりはかなりのインパクトを与えた。 そのパワーと肉体、そしてそれらを駆使しての勢いのあるレスリング。まさにキャッチフレーズである”暴走戦士”そのもの。あまりに強すぎて、決着がつくのもあっという間。そのような奴らが日にやってくるのだ。馬場が折れる。気でそう思った。 またこの入場曲が不気味であった。ブラックサバスの「アイアンマン」。オジーオズボーンの歌声がまた金属的なので、この2人によくあっていた。またイントロからしておどろおどろしく、当時の子どもとしては、戦々恐々であった。 そしてなんといっても、マネージャーのポール・エラリングの存在である。”化け物”というのは冗舌であると一気に興ざめする。こういう弁の立つマネージャーがいると、さらにレスラーを引き立てるのだ。 しかし

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  • 時代は移り変われど基本はやっぱりこの2つ【カップヌードル&カップスター】 - 昭和KOTOBASM

    さっこんいろんな即席めんが売られている。このごろではアイデア勝負というのか、味といい具といい、奇をてらったものもスーパーマーケットに行くとよく売られている。そしていつのまにか消えている。 そのようななかでもやはり外せないのが、カップめんにおいては、カップヌードルとカップスターである。それもしょうゆ味。このごろこのへんでは、”家系ラーメン”がはばをきかせていて、なかなか正統派の醤油ラーメンべられない。 なのでせめてカップめんぐらいは、澄んだチキンエキスの詰まったしょうゆ味をべたいのである。そしてカップヌードルとカップスターは、マイナーチェンジはあるのだろうが、基はかわらない味を提供してくれる。 カップヌードルはコンビニにいくと必ずあるが、カップスターはスーパーに行かなければならないという日陰の存在である。カップヌードルが長嶋茂雄なら、カップスターは野村克也とでもいおうか。なんだこのオ

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  • そうか”新発売”までが商品名だったのか【ケンちゃんラーメン】 - 昭和KOTOBASM

    よく夕方のテレビ東京で流れていたCMというものがある。それが「ねるねるねるね」と「ケンちゃんラーメン」だ。それもかなりの長い間流れていた。この二つの商品名は、30年経ったいまも脳裡にやきついてはなれない。 しかしじつはこの二つをべたことがない。頭のどこかで、どうせいまべなくても、いつかべられるだろう、こんなに長くCMをやっているのだから、というのがあったのであろう。 そうしていたら、いつのまにかべずに現在に至ってしまった。もはやどこにも売ってはいない。かといって後悔しているのかというと、そうでもないのだが。しかしケンちゃんラーメンといえば、長い間CMでずっと”新発売”を謳っていたのに。 あのCMの新発売という言葉には、気を感じさせた。いつも新鮮な気持ちでやっていますよという。そこにはロングセラー商品になるまでの、サクセスストーリーが隠されていたに違いないのだ。 だからこそこちらも

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  • 平日夕方6時はバカな子どもの時間だよ【テレビ東京の夕方の番組】 - 昭和KOTOBASM

    子ども時代、関東圏に住んでいなかったヒトには申し訳ない。もしかしたら大阪なんかはやっていたかもしれない。夕方6時にテレビ東京にチャンネルをあわせると、よくホビー関係の番組をやっていた。 ほんらいちゃんとした中学生なら、平日の夕方6時なんていう時間は、塾などに通っていたことだろう。けれどもほんとうにバカな関東在住の男子というのは、この時間にテレビの前にいたのであった。 このスーパーマリオクラブというのは、平成に入ってすぐあたりの比較的あたらしい番組であるが、これ以前には「タミヤRCカーグランプリ」やら「高橋名人の面白ランド」などという番組が存在した。 ファミコンもラジコンも持っていなかったし、この手の番組にはまったく興味がなかったのだが、あるときこのスーパーマリオクラブの動画をみて衝撃をうけ、またさいきんみてしまい、そういえばあの時間帯にこんな番組やっていたなという記憶が蘇った。 まさか前嶋

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  • エンディングテーマであるかのようなオープニングテーマ【星の子チョビン】 - 昭和KOTOBASM

    とくにむかしのアニメのエンディングというのは、エンディングというだけあって、哀愁にみちた歌が多い。だが中にはオープニングまでもが哀愁に満ちているアニメというのも存在する。それが「星の子チョビン」である。 「星の子チョビン」は、石ノ森章太郎原作のアニメで、昭和49年にTBS系列で放送された。チョビンは妖精の国の王子で、故郷の平和を取り戻すため、悪党ブルンガに立ち向かうというストーリー。 舞台は地球の”トンカラ森”というところなのだが、主人公が妖精であり、なおかつ擬人化された動物たちがサブキャラとして出てくるので、ニンゲンはふたりしか登場しない。このファンタジーな世界観は、石ノ森章太郎ならでは。 それもあってこそのこのオープニングテーマなのであろう。石ノ森みずからの作詞で、作曲は平尾昌晃である。歌い手の藍美代子さんの歌声がまた哀愁をさそうのであった。オープニングがこれならエンディングはどうなの

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  • コウモリだけが知っている【黄金バット】 - 昭和KOTOBASM

    子どものころ、東京12チャンネル(現・テレビ東京)では夕方にかけて、むかしのアニメの再放送枠というのがあった。その枠でやっていたと記憶している。いや朝だったかもしれなくて、記憶が定かではないのだけれども。 放送は昭和42年に日テレビの土曜日19時からやっていたそうだ。もとは紙芝居で、昭和5年に原作ができたとのこと。見た目がどくろで不気味なかんじがするのだが、テレビアニメは何回も再放送されているのだから根強い人気があったのだろう。 小さい子どもの時分に観たものだから、内容まではよく覚えていないのだけれど、あの独特の笑い声は印象に残った。よくモノマネをやったものだ。意外とあの笑い方はやってみると難しい。 ちなみに敵はナゾ―というやつで、ミミズクの覆面をして、色とりどりの4つの目をした怪人だった。シンプルな造形がかえって、昔のアニメ特有のおそろしさと不気味さを醸し出す。 オープニングの最後の

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  • 橋本マナミの「出てこいよ!」の意味について【小林麻央】 - 昭和KOTOBASM

    7日放送の「バイキング」(フジテレビ系)で、橋マナミが、小林麻耶・麻央姉妹に対するネットユーザーの中傷に怒りの声を上げた。 おやおや。いったいどうしたんですかぁ?とつい滝口順平さん口調に。 出演者が意見を交わす中、坂上が橋に対し、姉妹の闘病に対するネット上の声に「ホントびっくりしたのよ!」「『こんなこと書いてあんの』っていう」とショックを受けるものがあったことを明かした。 すると、橋は「悪いことも書きたい放題なので。誰も規制しないですし。相当ひどいですよ」と、一部ネットユーザーのモラルの低さを指摘した。そして、「こうやって病気で闘われている方に対しても、(ネットでは)相当心のない言葉を発してたりもする」「ホントに『出てこいよ!』って思いますよね」と声を荒げたのだ。 橋マナミ 小林麻耶・麻央に対する中傷に怒り「出てこいよ」 - ライブドアニュース まあだからといって、ほんとうに橋

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  • 「タンバさんリボンさんに学ぶストリップ完全応援マニュアル」(2017年3月17日放送)【タモリ俱楽部メモ】 - 昭和KOTOBASM

    ことしでストリップが日に誕生して70年になるのだとか。いまでは”ストリップ女子”なんていうのが急増しているという。もとが100のうちのゼロに近かったのだから、いま1や2ていどに女子が増えても”急増”になるわけだが。 そうやってなんでも”女子”ってつければいいってものではないだろうなんてイチャモンをつけてしまうと、世の中の流行らせ隊?みたいなヒトタチに怒られてしまいそうだが。 タンバさんというのは、ストリップの踊り子さんが踊っているときに、タンバリンを打って、リボンさんというのは踊り子さんがポーズをビシッと決めたときに、リボンを投げて、それぞれ場を盛り上げるヒトタチをいう。 タンバさんもリボンさんもお店のスタッフではなく、どうやらお客さんらしいのだ。わざわざ入場料を払って応援のためにやっているのだとしたら、なんとも健気ではないか。 誰もその姿に注目するわけでもなく、他の観客がかぶりつきで踊

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  • なぜ金屛風を前にして謝罪会見をしなくてはならなかったのか【中森明菜】 - 昭和KOTOBASM

    彼女もあの伝説のオーデション番組「スター誕生(日テレビ)」出身だった。出場したときは、山口百恵の「夢前案内人」を歌っていた。そういえばふたりとも、どこか陰があるところが似ている。 山口百恵が昭和55年に引退し、その年に松田聖子が、昭和57年に中森明菜がデビューして、このあいだにアイドルシーンはガラッと変わった。山口百恵とともに”花の中三トリオ”だった桜田淳子が、明らかに失速していたのが、目に見えてわかったものだ。 山口百恵と中森明菜にはもうひとつ共通点があった。恋人役として共演していたヒトとプライベートでも恋人になるという。しかしその恋の結末だけは違うものになってしまった。 時代が平成になってまもなく、中森明菜は当時恋人だった近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂事件をおこした。そしてその年の末に謝罪会見を開いた。その会見でなぜか金屛風がはられていた。 金屛風というのは、おめでたい席において

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  • 中森明菜「スローモーション」【ラジオメモ】 - 昭和KOTOBASM

    子どものころは、まったく好きではなかったのに、大人になって好きになる存在というものがある。そのひとつ(ひとり)が中森明菜だ。彼女が活躍していたころは、みんながもてはやしていたから、ひねくれものの自分は、敬遠していたのかもしれない。 今回のタブレット純さん「音楽の黄金時代」のテーマは、”スターのデビュー曲”。新年度のはじまりにピッタリといえよう。その最後に流れた曲が、中森明菜の「スローモーション」だった。 作詞は来生えつこで作曲来生たかお。マイナー調でノスタルジックなナンバー。なんといってもこの歌はイントロがすばらしい。けれども意外なことに、オリコンランキングは30位どまりだった。 そのせいなのか、次のシングル「少女A」(詞・売野雅勇 曲・芹澤廣明)でちょっと不良っぽい方に路線変更していった。当時はよく松田聖子の”ぶりっ子”に対して”ツッパリ”などといわれていたが、それも「少女A」の影響なの

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  • あれから30年【日本国有鉄道】 - 昭和KOTOBASM

    国鉄がJRに変わってちょうど30年になる。1987年4月1日にJRになったので、30年前の今日が国鉄最後の日ということになるわけだ。そう、そのむかしは”国有鉄道”があったのである。 国鉄最後の日 国有鉄道であるから、駅員はそのころ当然公務員だったわけで、サービス精神というものがほんとうに欠如していた。役人根性まるだし。サービスなんかしなくても、おまえら乗らざるをえないんだからという態度がありありだった。 いまでは考えられないが、ストライキも多かった。国鉄というところは、どうやら従業員が強かったようだ。電車が止まれば困るヒトも多くいるわけで、それを盾にすりゃ従業員も大きく出られたのであろう。 そんな国鉄も赤字が膨れ上がってしまい、民営化となりJRとなった。それからというもの、愛想のいい駅員が増えていった。いまや車いすのヒトを電車に乗せようというときの、駅員の親切なこと。もはや駅員なんて呼び捨

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