タグ

2020年7月1日のブックマーク (4件)

  • コロナ禍なのにではなく、コロナ禍だからBlack Lives Matter運動は広がった

    BLM運動には一部の医療従事者からも応援の声が上がった(英ロンドンの聖メアリー病院) DYLAN MARTINEZ-REUTERS <社会心理学で読み解く黒人差別反対デモ拡大の理由。未知のウイルスに怯えていた人々が社会運動に生きる意味を見いだした。誌「Black Lives Matter」特集より> 白人警察官に首を押さえ付けられたジョージ・フロイドが、「息ができない」と訴え、絶命する映像は、多くの人の脳裏に焼き付けられ、永遠に忘れられることはないだろう。その衝撃的な映像は、事件が起きたミネソタ州ミネアポリスだけでなく、全米そして世界各地でBLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命は大事)運動に火を付けた。 警察の過剰暴力によって黒人が無残に殺されたのは、フロイドが初めてではない。これまでにも、数え切れないほどの黒人が似たような状況で命を落とし、その度に改革を求める声が上がっていた。だ

    コロナ禍なのにではなく、コロナ禍だからBlack Lives Matter運動は広がった
  • クリストファー・パッテン - Wikipedia

    バーンズのパッテン男爵クリストファー・フランシス・パッテン(英語: Christopher Francis Patten, Baron Patten of Barnes, CH PC、広東語名:彭定康、1944年5月12日 - )は、イギリスの政治家、一代貴族、青山学院大学名誉博士。[1] 1979年に庶民院議員に初当選して保守党の政治家となり、サッチャー内閣やメージャー内閣で大臣職を務めた。1992年から1997年にかけて中国返還前最後の香港総督を務めた。その後、欧州委員会委員などを務めた。2005年には一代貴族バーンズのパッテン男爵に叙され、貴族院議員となった。 1944年5月12日にイングランド北西部ランカシャーに成功していない音楽出版業者の子として生まれた。アイルランドロスコモン県からイングランドへ移住したカトリックの家系だった。パッテン自身も敬虔なカトリックである[2]。 カトリ

    クリストファー・パッテン - Wikipedia
    goodstoriez
    goodstoriez 2020/07/01
    “1997年の中華人民共和国への返還・譲渡を控えた香港で政治の民主化に尽力した。1994年には立法会議員の選挙法改正(英語版)を行い、職務選挙区(英語版)の定義を拡張して香港臣民が事実上全ての間接議員を直接選”
  • WEB特集 コロナが奪った日常 感染拡大とともに薬物中毒広がるアメリカ | NHKニュース

    「彼は、ユーモアが好きな子でした。人のことが好きで、コメディアンになるのが夢でした」 こう語るのは、南部フロリダ州に住むミシェル・ホルブルックさん(54)。 愛する1人息子のチャンドラーさんをことし4月に亡くした。28歳だった。 チャンドラーさんは、10代の時、初めて薬物(大麻)に手を出したという。アメリカの10代の若者の間では、それほど珍しい話ではない。 19歳の時、肩にけがをしたときに処方されたオピオイドと呼ばれる鎮痛剤がきっかけで、ヘロインやコカインなどより強い薬物に依存するようになった。これも、アメリカで薬物依存になる原因として、よく聞く話だ。 しかし、母親のミシェルさんらの献身的な支えで、リハビリ施設などでの治療をへて、おととし8月、薬物を断つことに成功した。

    WEB特集 コロナが奪った日常 感染拡大とともに薬物中毒広がるアメリカ | NHKニュース
  • 殺人犯がいた職場での話 【前編】|ハルオサン

    これは公に書くことが出来ない、 書きたかったけど書けなかった。 ひとりの元警察官とひとりの元受刑者 そんなエッセイをひっそり書こうと思う。 ■ 「そして彼はまた人を殺す」 「どうして殺したの?」 あの夜、私は一生で一度きりになるだろう質問をした。 この問いかけに人殺しである彼はこう答えた。 「アイツは決まりを破ったんだ・・死んで当然だろ?」 死んで当然・・・彼は自分や自分の周りにある、 流儀や掟に反したものを殺すことは・・・当然。 「悪いことでは無い」と考えていた。

    殺人犯がいた職場での話 【前編】|ハルオサン